どっぐらんの裏側

今まで書いた物まとめたり、ちょっと長めの独り言呟いたり。※無断転載禁止

神とその巫女になった少女の話06


 江戸の時代、人々がまだ信心深く、神社参拝のために休みが与えられていた頃。神の力が未だ隆盛であった時代から、数えるところ僅か半世紀余り。この物語の舞台となります大正の頃には既に人の心は神から離れはじめ、また多くの神社が取り壊された後で御座います。
 西暦一九〇六年、皇紀二五六六年、明治にしまして三九年。当時の内閣によって出された勅令に”神社合祀(じんじゃごうし)”と云う物が御座いました。神社ごとに格と序列をつけ、小さな物から取り壊していく。合祀が決定した神社の祭神は残留が決まった大きな神社に移され、実に七万もの神社が取り壊しの憂き目に遭ったので御座います。
 日の本全土に二十万はあろうかという神社の数を減らすこの政策は、人々と神の心を遠くするきっかけとも相成りました。日々祈っていた神社が取り壊され、氏神が遠い地に行ってしまった氏子達。その中には、参拝に行くのが困難な者も出てまいります。無理矢理住処を変えられた神の中には、世を憂いて自ら土地を去った存在も在ったでしょう。
 時代の流れと共に当然のように押し寄せる合理主義の波。叶う叶わないのわからぬ神仏への祈りよりも、科学による文明の進歩と利便性に、人の目はどんどんと曇ってゆきました。
 けれどこの勅令。何も悪い事ばかりではございません。各自治体に依存していた神社の管理を国が一括して行うようになった事で、確実に救われた神社も勿論御座いました。広い土地を持ち、管理費だけで年間かなりの額が出ていくような大きな神社。それらが”現代”においても変わらず形を残しているのは、少なからずこの政策の恩恵あっての事で御座います。
 一つの神社に経費を集中させる事で、安定した財産を成す。それにより継続的な経営が確立された事で、威厳と信心がより一層高まった神社も御座いました。
 物事は常に表裏一体。影ある所には必ず光浴びるモノが在り、光が照りつける場所には必然濃い影が生まれるもので御座います。立ち位置が違えば抱く感情も変わる。ほんの一歩分の距離で生死の分かるるのもまた、仕方のない事では御座いましょう。
 さて、この物語の舞台に立ちませる狐の神。彼女は何も、この政策によって力を弱くしたわけでは御座いません。それより以前、恐らく戦国乱世の頃には、もう社は井戸に投げ捨てられた後で御座いました。けれどそれ故に、神と少女は出会ったので御座います。
 狐神の社は、元は極々小さな神社にございました。もし彼女の社が明治の時分に失われていなければ、恐らく真っ先に取り壊しに遭っていた事で御座いましょう。さすれば少女と出会う事もなく、恐らくこの神の事。世に未練もなく、あっさりとその存在を消してしまっていた事でしょう。
 これもまた運命の悪戯。全てが悪い事ばかりではなく、沈む時もあれば軽やかなる時分も御座います。物事は常に表裏一体。僅かな歯車の狂いから二人は出会い、そしてまた僅かな狂いから別たれて、今もカラカラ回り続けている最中で御座います。今噛み合う歯車が正しい形で収まっているのかは、不調が起きてみなければわからないもの。この物語は何処へと向かうので御座いましょう。
 神とその巫女になった少女の話。一つの悲しい事件を乗り越え、より強固な絆で結ばれた二人。今までは少女の住まう屋敷とその周辺での出来事ばかりお見せして参りましたが、この度は少し場面を移してみる事に致します。
 これは、ある日の小旅行での一幕。とある再会、そして新たな出会いのお話で御座います。

 

  

 とある神社に参拝をしたい。いろはがそう切り出した時、やちよはあからさまに機嫌を損ねた顔をした。整った眉が吊り上がり、腕を組む姿は険を孕む。真一文字に結ばれた唇の端がひくりと震えれば、いろはは気まずく視線を逸らした。
「……伏見の大稲荷に婚姻の挨拶を、というわけではなさそうね?」
 猫なで声が恐ろしい。厭味ったらしく確認をしてくる女神は、既に怒り心頭だ。隠す気もない威圧に嫉妬の色。手の甲に刻んだやちよの印がじわりと熱を持てば、いろはは痛みに顔をしかめる。
「っ……」
 ぐっと悲鳴を押し殺す巫女を見て、やちよは少しだけ表情を緩めた。印が熱を持つなど、彼女自身も意図せぬ事ではあったのだろう。いろはの左手を取ってそっと唇を押し当てる横顔に、少しばかりの罪悪感。
「……私は移り気を許す程寛大ではないわ。そんなに大人でもない。悪いけれどね」
「移り気などでは……っありません」
 やちよは、以前よりずっと表情が豊かになった。無表情でいる事が減り、笑う顔すら様々な色。今いろはを見上げる瞳にすら、窺うような色が見えた。
「では、なに」
 貴子の一件、その時のいろはの覚悟を知って以来、神は巫女を気遣う素振りを見せるようになっている。勿論その以前からいろはの事を第一に考えてくれる優しい存在ではあるのだが、前提には神格特有の高慢さがちらついた。自身の望む事柄を成すため。自身の巫女を守るため。そのためならば惜しげもなく通力を行使し、全ての禍を退ける。
 しかして逆を言えば、それは命に格を付ける行為でもあるだろう。いろはを守る為なら他をいくら傷付けても構わない。自身の巫女以外の人間ならば、気に障った時点で喰い殺す事も厭わない。いろはを傷付ける者は死してもなんのおかしい事のない。いろはがそれを望まないとしても、きっと以前のやちよなら聞く耳も持たなかった。高位の存在であるが故の、独善にも近い理を持っていた。
「……宝剣が見つかって」
「……剣?」
 しかしあの一件以来、こうして歩み寄ろうと努力する事が増えている。いろはが何を考え、何に悩み、何故そう思うに至ったか。それを理解し、神自身といろはがどう違うのかを知りたがるようになった。そうする事で、いろはの傍に寄り添おうとするようになった。より近く。それこそ、魂の隣に。
 その姿を見る度に、いろはの心はじわりと疼いた。貴子の事。そして祟り神となってしまった小さな神を他人事とは切り捨てずに、一緒に悩んでくれる神が愛しかった。いろは一人を狂わせたくないと、ひいてはいろはを切り捨てたくないと、言葉を尽くして必死に理解しようとしてくれる。そんな事をせずとも心を覗き見れば足りるであろうに、神はとんとそれをしない。いろはが言葉を諦めなくてもいいように、本当に必要な時に助けを求められるように、語り合い、時には言い争う事で対等になろうとしてくれる。神としての威厳よりも、いろはの寄る辺である事を選んでくれた。互いに互いを諦めず、切り捨てる事がないようにと目線を合わせてくれる。それがとても、とても、嬉しい。
「……父の血筋は、古くは源氏と繋がっております」
 必死に落ち着こうとしている神と、比例するように静まっていく印。それに小さな笑みを零して、いろははゆっくりと口を開いた。そしてやちよの目をじっと見つめ、殊更丁寧に言葉を選ぶ。
「婿養子として名字を捨て環の家に入りましたが、何も実家と仲が悪いわけではありません」
「ええ。この間も父君の兄上が遊びに来ていたわね」
「はい。兄弟仲は良い方で、互いに悩みや問題があれば相談を交わす間柄でもあります」
 家督争いをするでもなく、お互いが綺麗に適任に収まった。弟の研究馬鹿な所も好ましく受け止めてくれる兄なので一切の問題事もなく、妻同士も学生時代からの親友同士。故に両家族で旅行に行く事もあるくらいの良好な関係を保っている。小さい頃に犬に噛まれた経験からやちよを見ると逃げ腰になるが、決して邪険にはしないし、父によく似て心根の優しく気の良い伯父だ。
「その伯父様が蔵の整理をなさっていたら、古い宝剣が見つかったようなんです」
「……へえ?」
「笹竜胆の紋が入っていたので、祖先から受け継いだ物だと思うんです。作りからして実戦用ではないらしくて……奉納のために作らせたものではないかと、うちに持っていらしたんです」
 使用人に任せるのではなく、家長自ら蔵の整理をする辺り、父の兄だな、と思う。あちらの子供、いろはの従兄に当たる存在は男ばかりなので、女の子はいいなぁと言ってはいろはの事もよく可愛がってくれる人だ。
「ご覧になりますか?」
「……そうね。その方がいいでしょう」
 私はこういう事には詳しくないからね、と、環の家に届けられた宝剣。いろはは刀の類には一切興味がないので、今日の朝に実物を見た時も、然程感動はなかった。けれどそれが仄淡く輝いているように見えたので、放っておいては善くない事になる気がしてならなかったのだ。そして思ったままを父に進言したところ、では御奉納奉ろう、という話になって今に至る。
「これなんですけど……」
『……なるほどね』
 一階の和室。その床の間に安置された宝剣は、相も変わらず淡い輝きを纏っていた。狐の姿でいろはの後に続いたやちよも、それを見てようやく得心のいった顔になる。
 いろはにはただ輝いているように見えるが、やちよには輝きと同時に微かな靄も見えた。これは確かに、持ち続けるのはあまり善くないだろう。
「やちよさんなら詳しい事がわかりますか?」
『さて……元が誰の物かまではわからない。代が変われば持ち主も代わるから。今の持ち主はいろはの伯父上ね』
 一度は落ちぶれた家系だが、それでも手放さなかった物なのだろう。伯父の代……もしくはその数代前から面倒を見る者もなく、すっかり錆ついて鞘から抜けなくなっていた。それを磨きに出した事で、多少の厄は祓われたようだ。けれどやはり、歪んではいる。
『あるべき所に納められなかったので多少歪んではいるけれど、まだ厄をもたらす存在にはなっていない。奉納は善い選択だと思うわ』
 やちよの言葉に、いろはは宝剣を見る。じっと……あるいは睨むような視線でそれを凝視し、やがて巫女は気まずそうに眉を下げた。
「これ……その、やちよさんに奉納、というわけにはいかないように見えて……」
 言いにくそうだ。ようやくいろはの言いたい事が理解できて、やちよは思わず笑ってしまう。狐の姿なので表情の変化は乏しいだろうが、その笑みにはいろはを安心させたい、という意味も含んでいた。
『力が強くなったわね』
「……じゃあ?」
『正解。私に奉納するのは無理でしょうね』
 家に、ひいては自身に神が降りているのに、他の神を参拝する。それがどういった意味を持つのか、いろはだってわからないわけではなかった。当然だろう。やちよと再会し心を通わせてから、随分色んな書物を読み漁ったようだ。軽い気持ちでそんな事を言うはずがないし、やちよを見限って他の神を崇めるような娘でもない。
『……疑って悪かったわ』
「いえ、私も桜井さんの時に妬きましたから」
 わかっていたはずなのに、どうも盲目になってしまう。自分で思うよりもいろはに惚れているのだと気付かされると、首の後ろがむず痒くなった。辛抱堪らずに後ろ足でそこを掻くと、すぐに巫女の手が伸びて優しく毛皮をくすぐられる。
「これでおあいこですね?」
『……そうね』
 心地良いのに余計むず痒くなってくるのは、いろはの気持ちがいくらでも流れ込んでくるからだ。やちよの誤解が解けた事を喜んで、彼女の心は温かい。ほわほわと、やちよを想う恋心ばかり感じられるから、やたらとくすぐったくて仕方なかった。
「源氏ならば常陸国一宮(ひたちのくにいちのみや)かと思ったんです。なのでそちらに御奉納しようかと……」
『……タケミカヅチノオノカミね。どうかしら。初代の征夷大将軍とは色々あったみたいだけれど』
「鎌倉様ですか? 私もそれは思ったんですけど、他に思い当たる場所もなくて……」
 タケミカヅチ。現在の茨城県鹿嶋市にある、鹿島神宮の祭神だ。日本神話では大国主の国譲り等で名を知られ、武神としても崇められている。古くから武家からの信仰も篤く、鎌倉様とも呼ばれる初代征夷大将軍源頼朝も、鹿島神宮に多くの寄進をしていた。しかしそれと同時に神社の経営そのものに手を出そうともしていたようなので、礼と無礼が半々、といった具合でもある。
『源氏ゆかりの神社は他にもあるでしょう』
「はい。初代様が祀られている六孫王神社や源氏の霊廟と呼ばれる多田神社もあるにはあるのですが……ここに」
『ああなるほど。菊花紋ね……』
 源氏の家紋である笹竜胆だけが彫り込まれているならば、そちらの神社に奉納する事でなんら問題はなかっただろう。けれどこの刀にはもう一つ、茎(なかご)……柄に隠れる部分に、十六葉の菊が彫り込まれている。これは鎌倉よりの天皇の紋。後鳥羽天皇が愛用した事を発端にし、現代においてはパスポートなどにも使用されている皇室ゆかりの紋章だ。
鹿島神宮は元旦の四方節で遥拝(ようはい)される神社でもありますから。どちらにも関係するとなると、そちらかなと」
 銘を確認するために拵を外された刀は、相も変わらず仄淡い光を放ち続けている。ぞっとする程に美しい刀身は、見ている内に引き込まれそうな程怪しげな雰囲気を纏ってもいた。
『まあいいでしょう。そこでなければ刀が教えてくれるわよ』
「そういうものですか?」
『ええ。それ程の物になると自ら選ぶわ。あなたを運び手として選んだように』
 いろはの視る力は強い方だが、そうは言っても物の性質を察する程の力は無い筈だ。やちよが武神であるならば刀剣の類に明るくもなろうが、そういうわけでもない。豊穣の神、ウカノミタマの使役神は、大地の声を聞くのが専門だ。明治を迎え大正に入ってからは商売繁盛の信仰も篤いが、そちらの力が働いたとしても、精々物の善し悪しを見極める程度の力しかない。それが奉納の場所まで思い当たるとなれば、この宝剣自らが物を教えているとしか思えなかった。
『私の巫女を足に使うとはいい度胸ね。話が出来るならば苦言の一つでも突き付けるものを』
「ふふ、いいじゃないですか。旅行の機会を得たと思いましょう」
『……まさか置いていくとは言わないわよね?』
「まさか。一緒にいらしてください。その方が心強いです」
 刀は本来男の持つ物だ。刀剣によっては女に持たれるのを酷く嫌う類もある。その辺りに細かくないので何をする事もないとは思うが、万が一を考えたら神と離れるべきではないだろう。
「お父様は早い方がいいと。次の大安に行ってきなさいと仰っていました」
『あら、父君は行かないの?』
「代わりにおみつが供を。神事ならば視える者だけの方が良いだろうって」
『つまり寝所は二人きりね?』
「……やちよさんなら絶対に私を守ってくれるとも」
『やれやれ、信頼されたものだわ』
 父は二人の関係を知らないはずなのに釘を刺された気がするのは、やましい所があるからだろう。口煩い女中がつくのでは、旅籠でもおいそれと手は出せそうにない。
「やちよさんはこの地を離れたことがありますか?」
 和室から出て、人気のない廊下を選び部屋へ戻る。その途中に投げ掛けた問いに、狐は微かに首を捻ったようだった。遠い記憶を思い返すように少し目を細め、喉の奥から小さな唸り声を上げる。
「……どうだったかしらね」
 いろはの部屋に入り人形をとっても、やちよは遠い目をしたままだった。うーんと腕を組む姿に、思い出すのも苦労する程の長きを生きた姿を見る。
「遠い昔に……あったような、なかったような」
「……京へは行かれないのですか?」
「ウカノミタマノカミから勅令があれば赴く事もあるけれど……そうそうあるものでもないから。最後に京に上ったのなんて社が沈む前だもの。それからはただそこに在っただけ」
「……そうですか」
 しばらく悩んでから、やっと出てきた答えは寂しいものだった。戦国乱世には家を失くしたという神の孤独に触れて、いろはは表情を曇らせる。軽い気持ちで問いかけて、それに酷く後悔した。
「……そんな顔をしないで」
 すっかり落ち込んでしまった巫女を覗き込んで、神は優しい顔をする。その頬を包み込んで上向かせ、唇を寄せる姿は嬉しそうでもあっただろうか。その理由がわからないいろはが目を瞬かせると、やちよは目を細めて穏やかな笑みを浮かべた。
「私はこの地に縛られて生きてきたわ。ずっと孤独に佇んでいた。けれどねいろは。だからこそ楽しみなのよ。あなたと色んな景色を見て、共に旅をするのが」
「……やちよさん」
「前に行った銀座という場所も楽しかった。立ち並ぶ西洋式の建物も、その中を歩くあなたも、見ているだけで心躍ったわ。あなたが私の巫女になってくれたから、私の居場所になってくれたから、色んな所にいけるようになったの。それがとても……そう、幸せだと思うわ」
「っほんとう、ですか?」
「神は嘘なんて言わない。いろは、私の巫女。可愛いあなた、胸を張りなさい。俯く必要なんてない。私はあなたのおかげで、欲しい物を手に入れた。今まで見ているだけしかできなかったものを、あなたが私に与えてくれたのだから」
 柔らかな声だ。このところ多く見せるようになった、滲むような眼差し。いろはを心から愛しく想い、またそれを隠そうともしない。包み込むように、あるいは撫ぜるように温かな瞳。
 その瞳で、その声で、神は言う。いろはが与えてくれた感情の名前を何度でも。飽きることなく、嬉しそうに。
「幸せ。幸せだわ、いろは。あなたのおかげで、私はこんなにも満たされている。幸せよ」
「……はい」
「ありがとう」
「っはい……」
 ありがとう。たった五文字のその言葉。それをやちよが言うようになったのも、貴子の一件を乗り越えて以来だ。
 神は知った。想われるのは当然の事ではない。視えるのは当たり前ではない。こうして心が繋がっているのは、自分が存在していられるのは、いろはがやちよを想ってくれるからだ。視て、触れて、愛しいと言ってくれるから。
 人は神に感謝する。やちよは今まで感謝される存在だった。そしてそれを当然だと思っていたし、自分がするものでもないと思っていたけれど、そうではない。そうではなかった。たった五文字のこの言葉は、愛を伝えるための音でもあるのだ。
「……ありがとう、いろは」
 愛されるのは当たり前ではない。だからこそ感謝する。そこに何かが在るのは当たり前の事ではない。だからこそ礼を尽くし、心を砕く。齎された物に報いるために。やちよはそう思った。これからはそうしていきたいと思った。
 いろははやちよの心を守ろうとしてくれる。やちよがやちよとして在れるように、必死に心を砕いてくれる。それがとても嬉しいと、幸せだと思ったから。
「楽しみね」
「はい」
 やちよもまた、いろはを守りたいと思うのだ。様々な景色を見せてくれるこの少女を。やちよの存在、全てで。

 

***
 
「止まりなさい」
 冷たい声と共に、しゅっと何かが振り下ろされる音がした。驚きに身を竦ませたいろはの眼前。前髪を僅かに掠め、突き付けられたのは密集した竹の小枝だ。小さな落ち葉が絡まったそれが箒の穂であると気付いたのは、青白い炎が広がった後。ボッと爆ぜる焔の音に、いろはは慌てて体を引く。驚きと困惑に、下がったのはよろめく三歩。視界を覆う箒から逃れるように頭を傾ければ、その向こうに黒髪の少女が見えた。
 ――宝剣の奉納を決めた日から十日程。一車両を丸々貸し切っての電車旅を楽しんだ二人と一匹は、到着初日を観光に使い、翌日の朝早くから禊を済ませ、神社に赴く事にした。神域では変化が解けるかもしれないというやちよの申告もあったので、極力人目につかない時間帯を選んだのだ。
 その狙いはずばり功を奏し、参道にもその前の店通りにも、人影など殆ど無い。ちらほらと見えるのは神社で働く巫女だけで、敷地に入るのは容易いかと思われたのだが……。
「……狐憑き」
 いろはに箒をつきつけた少女は、突然上がった炎にも一切動揺する事はない。深い色をした瞳でちらりとやちよを見て、眉を寄せる姿は苛立たしげだ。
「っな、何をなさいます! この方は……っ」
「人の世の身分などここでは飾りにすらならないわ。大事なのは神に拝謁する資格があるかどうか」
 慌てていろはの前に立った女中頭ですら、彼女の気迫に圧されている。神だろうと暴漢だろうと相手が言葉の通じる相手であれば遠慮なく啖呵を切り、時には実力を持って捻じ伏せてしまう事もあるみつだ。度胸も胆力も並みの女には有り得ない。それに勝るどころか言葉さえ押し留めてしまうなど、どうにもこの巫女、只者とは思えなかった。
「狐に憑かれた者を通すわけにはいかないわ。このまま立ち去るなら見逃してあげる。押し通るというならば……」
「どうなると?」
 険を孕んだ物言いに、いろはの横から挑発的な声が返る。ぐるる、という唸り声に慌てて振り返るよりも早く、強い力に引き寄せられて悲鳴が零れた。
「正体を現したわね……」
「元より隠してなどいない。狐の姿の方が動くに易いだけの事」
「口八丁を」
「濁り目の愚か者め。我が巫女に不浄を向けた無礼、決して許しはせぬぞ」
 辺りに青い波がかかっている。人気どころか小鳥の囀りすら聞こえなくなったのを見るに、やちよが結界を張ったらしい。その中央。もはや八分程炎に包まれた箒を握ったままの少女と、怒りに毛先を白く変えた神が対峙している。
「やち……」
「黙っていなさい」
 まさかこの場で大立ち回りを始める気なのだろうか。そう思って慌てて諌めようとしても、きつく抱きすくめられれば息もできない。丘でやちよに溺れながら、いろはの額に浮かぶのは冷や汗だ。
 ここは既に神域。まだ鳥居をくぐったわけではないが、鹿島の神の守護がかかった土地だ。言うなればこれは、他人様の土地で戦争を始めるような物である。ただでさえ異なる神を同時に参拝するのは好くないと言われているのに、この上こちらから無礼があっては宝剣の奉納どころの話ではない。
「その娘から離れるか、共に死ぬか。それだけは選ばせてあげるわ」
「そなたを八つ裂きにして野に還す、が抜けているなぁ?」
 神が一切引かぬと見て取って、巫女が箒を投げ捨てる。そして懐に手を忍ばせた次の瞬間には長い針を出すと、目にも止まらぬ素早さでそれを振り被り……。
「待ったー!! ちょっと待って! 待ってー!!」
 そこで唐突に、やちよの結界がゆらりと揺らいだ。同時に大きな声が響いて、誰かが二人の間に割って入る。
「待ってください! お願い!」
 黒髪の巫女を自身の背中に庇うようにして立ちはだかったのは、同じような巫女服を着た小柄な少女だ。必死になってやちよを見上げる彼女の額にも、小さな隈取り
「……カナメ」
 それを見た瞬間、やちよがぽつりと呟いた。驚きに満ちた表情で少女を見下ろすやちよの腕の中。やっと酸素を得る事に成功したいろはは、そんな二人を見てぱちくりと目を瞬かせる。
「……お知り合いですか?」
「っ……あ、ああ、ええ。そうね。もう随分と前に、一度会っただけだけれど」
 巫女の問いかけに、やちよはようやく我を取り戻したようだ。いろはを解放ついでに女の姿を取る神に、黒髪の少女よりもみつの方が驚いた声を上げる。
「あれ」
「ん? ああ、みつの前では初めてだったわね。普段はこちらの姿なのよ」
 それにさらりとそう返し、すっかりと警戒を解いた神が笑う。その様子に小柄な少女がほっと表情を緩め、未だしかめ面の巫女を振り返った。そして針を持った手にそっと自身の右手を添えて、ゆっくりと腕を下ろさせる。
「ほむらちゃん。この方はウカノミタマノカミの使役神。稲荷の狐神だよ」
「……神?」
「うん。妖怪や悪鬼じゃないから。実体がしっかりと見えるのは、この子を社にしてるからだよ。私と一緒」
「……そう」
 どうやらほむらと呼ばれた少女の方は、視る力に多少の難があるらしい。先程やちよも濁り目と言っていたので、恐らく神とそれ以外のモノの見分けがつかないのだろう。
「……失礼いたしました。神格であらせられたとはわからずに」
「……いいわ。カナメの方の巫女であるならば、こちらも強く言う気はない」
「ナナミの方、ありがとうございます」
 どうやら親しい仲らしい。ナナミ、カナメと呼び合う由来が思い至らずちらりとやちよを見上げれば、優しい瞳がいろはを見下ろした。
常陸国一宮が、鹿を神の使いとしているのは知っているでしょう?」
「はい」
「ここにいるのは白い牡鹿の姿をした神格なのだけれど、それ以外、各地に散らばる分社にいる土地神も、それに倣って鹿の姿を取る事があるわ。その全てが氏子たちを見守る目の役割を果たしている。だから鹿の目。それを私は鹿目(かなめ)と呼んでいるの」
「そうなんですね」
「ちなみに私のナナミというのは……」
「ナナミの方のお社に植えられた御神木が磐城(いわき)の国の分け木だった事と、守護している地域が豊かで雄大な土地柄だったから。稲荷のお社は分社がとても多いから、各地で通名をつけることもあったんだ。その名残、かな」
 穏やかな声だ。磐城の国……現代で言う福島の土地には、七海の名字を持つ者が多いらしい、と説明してくれる彼女は親しげで、やちよに感じるような畏怖も殆ど感じなかった。
「そう……なんですね。あの、ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして」
 小柄な事もあって思わず和んでしまうが、見てくれはこうでも立派な神格だ。失礼の無いように頭を下げるいろはの姿を見て、ほむらがようやっと表情を緩める。
「こんな所で立ち話もなんだから、よければ私の持ち場に」
「ええ。そうしましょう。いろは」
「あ、はい」
 綺麗な少女だ。やちよとはまた違うが、透き通った美しさを持っている。いくらか尖ってはいるが、微かに微笑んだ姿は年相応の少女に見えた。
「それにしても、また随分と研ぎ澄まされた者を巫女に選んだものね」
「えへへ。たしかにちょっと刃物みたいな所はあるけれど、優しい子なんだよ。私のことを守ろうと必死なだけなの」
「……どこも同じね」
「ふふ、そうみたいだね。縁(よすが)を結べばそうなるんだよ、きっと」
「違いないわ」
 先を歩く使役神二人は、後をついてくる巫女を振り返ってくすくす笑う。その笑みの意味がわからない巫女達は、ちらりと視線を合わせて気まずく黙り込むだけだ。暗に猪突猛進と強情を揶揄されている気はするのだが、神格同士の会話に口を挟むわけにもいかない。かといって出会ったばかりの相手と朗らかに話を出来る程器用ではないので、いろはとほむらはうつむきがちにむっつりと口を閉ざすしかなかった。
「……怪我」
「……え?」
「怪我、していませんか。当たってもいいと思って箒を突き付けたから」
 境内に足を踏み入れ、そのまましばらく歩いて小さな鳥居をくぐろうかという頃。ようやっと口を開いたのは、ほむらの方が先だった。いろはの方に視線を寄こすわけではなかったが、声に先程のような険はない。むしろどこかぼそぼそと、照れた子供を思わせる高い音でもあっただろうか。
 微かに染まった頬と、つっけんどんな物言い。それと言葉の内容が噛み合わずに少し呆けて、ようやく合点がいったいろははふんわりと笑みを浮かべる。
「いいえ。大丈夫です。どこにも怪我はしていません」
「……そう、ですか?」
 今更不安になったのだろうか。いろはの言葉に顔を向けたほむらは、無表情ながらどこか気遣わしげな色も見せている。顔と体にさっと視線を走らせてから小さく首を傾げる姿に、いろはは元気に頷いて見せる。
「本当です。もし小さな傷でもついていたなら……ねえ?」
「はい。今からでもみつの拳骨が唸りましたわ」
「ほらね? だからお気になさらないで」
「……」
 拳を握りついでにパキリと指を鳴らす女中を見て、ほむらはひくりと頬を引き攣らせた。何も温情から大丈夫だといっているわけではないと察したらしい。ぎこちなくいろはと視線を合わせると、その口から小さな謝罪が零れ落ちる。
「ごめんなさい。はっきりとした実像を持つ者は、大体が狐狸妖怪の類だから……」
「騙された事があるんですか?」
「私は……ないけれど。ただ、元いた村の長が、狐に化かされて亡くなったので。狐にはあまり好い気持ちがしないんです」
「そうなんですか……」
 もしかしたらあの時、いろはも守ってくれるつもりでいたのかもしれない。憑きモノは祓うか落とすかした方が良いに決まっているのだ。そう思って、あそこまで強固な姿勢を取ったのかもしれない。神職狐憑きなどと言われれば”滅多な事”を信じない輩でもぞくりとする。自衛も含めての警告だったのかと思うと、カナメの述べる”優しい子”という言葉に妙に得心がいった。恐らく、少しばかり不器用なだけなのだろう。
「ついた。ここだよ。中に入れば参拝のお客さんには視えないし聞こえなくなる。私とほむらちゃんが鍵になってるから、皆は間に入ってくれる?」
 いろはが小さく微笑んだところで、やちよの隣を歩いていた鹿の目がそう言った。その言葉に自身の神を見ると、そっと手を差し伸べられる。その手に掴まって反対の手を女中頭に差し伸べれば、彼女は微笑み小さく首を振った。
「みつはここまでに致します」
「え、でも……」
「ここは神域ですもの。巫女にと選ばれたお嬢様ならともかく、私は視えるだけでただの人間です。分を弁えておりますわ」
「……そう」
 潔い態度に、ほむらだけでなく神格二人も目を瞠った。特にやちよなどは余程驚いたようで、何度も目を瞬かせてはみつを凝視している。
「……そなたがいろはを育てたのだと、よくわかった」
「勿体ないお言葉ですわ。さ、お嬢様。いってらっしゃいまし」
「ええ。ちょっと待っていてね」
「はい。折角ですからゆっくりと詣をさせて頂きます」
 分相応を弁え、自身の中の決まり事はしっかりと守る。時に頑固と取られる事もあるであろう芯の強さは、間違いなくいろはに受け継がれているようだ。
「じゃあいこっか」
 三人のやり取りを微笑ましく見守って、やがてカナメがそう言った。それに頷いて彼女に続き、小さな鳥居をくぐった所でいろはは感嘆の声を上げる。
「わあ……」
「私の結界にようこそ。大したものはないけど、空気だけは綺麗でしょ?」
「とても素敵です……すごい」
 そこは、小さな森だった。小川が流れ、小鳥が歌い、木々の緑はいっそ逞しい程に。
「あなたの社ね」
「うん。もう失われてしまったけれど」
 木漏れ日が降り注ぐ森の広場。雑木林ではなく、杉の原生林だろうか。苔むした岩場に水の匂いを強く感じて、いろはは両手を握り合わせる。遠く九州の島に杉の原生林が残っていると聞くが、そこはきっとこんな景色なのだろう。圧倒的な自然の息吹が鼻腔を通れば、いっそ息苦しさすら感じる程だ。
「どうしてここにいるかと思ったけれど……」
「……うん、小さな神社だったから。合祀で取り壊しになっちゃって」
「そう……」
「でもおかげでほむらちゃんに出会えたし、ほむらちゃんにここまで連れて来て貰ったから宮仕えもできてる。悪い事ばっかりじゃなかったよ」
「そう」
 微笑む鹿の目の横顔は、やちよによく似ているように見えた。長きを生き、その歳月分の別れを経験し、寂しさや苦しみを乗り越えてこの場にいる。そんな存在独特の、諦め混じりの優しい笑顔。
 ああ、この神も人間が好きなのだなと思えば、やはり愛しく尊く思う。違う存在でありながら寄り添ってくれる彼女達は、得難く貴く美しい存在だ。
「さ、しんみりするのはおしまい。そっちの用件を聞かせてもらってもいいかな? ナナミの方が自ら来たって事は、何か大事な用なんでしょ?」
「ええ、いろは」
「はい」
 永住の地を、あるいは帰る人を得た事は、人にとっても神にとっても幸せな事なのだろう。今は憂いなど無く穏やかに微笑む鹿の神に、いろははやっと宝剣を取り出した。神宮に入ってから何度も震える様子を見るに、どうやら納められたいのはここで合っていたらしい。
「先祖伝来の品を御奉納奉るため、謹んで参上仕りました。どうか御取次を」
 一般人ならば、神社側に用件を伝えてしかるべき手段を取るだろう。けれどいろはは、最早只人ではない。神の神気と寵愛をその身に受け、こうして神という存在其の物と言葉を交わすまでに至っている。むしろ今のいろはが人間を通して神に言葉をかける方が、余程失礼にあたるだろう。自身にその勇気もなく、他人に頼んで電話をかけてもらうようなもの……と例えればわかりやすいだろうか。
「お受けいたします」
 いろはの言葉に、使役神としてのカナメが応えた。その目が金色に輝くのを見て、主祭神が降りているのだと知る。圧し掛かるような威圧感に視線だけを動かしてやちよを見れば、彼女も膝をついて頭を垂れるところであった。
「掛けまくも畏き鹿島の神社の大前を拝み奉りて、恐み恐み白す……」
 するり。やちよの口から零れ出でる祝詞に、空気が張り詰めていくのがわかる。何を話しているのかまではわからなかったが、きっと様々な挨拶をしているのだろう。厳かに、そして張り詰めた弦のように響く声に、やがて呼応する光が一つ。下げた視界に光が降れば、その強さに目が眩んだ。
大義であった』
 あまりの光に目を開けていられず、ぎゅっと瞼を下ろした瞬間に一つの声。それと同時にふっと両の手が軽くなり、押し潰されそうな程の威圧感が消えていく。
「っ……はぁっ」
「いろは」
 呼吸を忘れていたらしい。光が消えると同時に目を開けば、それと一緒に喉も開いた。ひゅっと鋭く息を呑んで手を付くと、すぐさまやちよが肩を抱いてくれる。
「……っわたし」
「大丈夫。ちゃんと出来たわ」
「……よかった」
 一瞬の出来事だった。何も神と対峙して会話を楽しみたいなどと思ったわけではないが、それこそ瞬き程度の時間だったので現実感がないくらいだ。それでも確かに宝剣は消えて、後には空の箱だけが残されている。
「……押し潰されてしまうかと思いました」
「あれだけ神気が強ければね。私でも息苦しいくらいだもの」
 もしかしたら、一瞬しか現れないのは気遣いでもあるのかもしれない。神でも息苦しく感じる神気をあれ以上受ければ、うっかりすると心の臓まで止まってしまいそうだ。
「これでとりあえずの用事は終わりかな?」
「はい。ありがとうございます」
 ほっと息を吐くいろはに微笑みかけて、優しい目を持つ鹿が笑う。それに礼を返して改めて空の箱を覗き、いろはは一人ぽつりと呟いた。
「……望んだ場所に、いけたのかな」
 物も、そして人も、在るべき場所があると言う。いろははやちよとの繋がりが断たれていた数年間、いつもどこかに帰りたかった。家にいても友人と話していても、心はどこかに帰りたくて仕方なかったのだ。
「いろは?」
「……いえ」
 今はもう、そんな気持ちになる事はない。在るべき場所にいる。ここにいたいと願った場所に立ち、それを許され、また許してもいる。物も、人も、時には神すらも。どうしても行きたい場所がある。そしてそれを得られる機会は、実はとても僅かな可能性なのだと知った。
「私、お二人の出会いをお聞きしたいです。差し支えなければ、ですけれど」
「……別にかまわないけれど。そんなに面白いものでもないわよ?」
「お互いお仕事で会っただけだしね」
「ふふ、それでもです。ね、ほむらさん」
「……そうですね。少し、いえ、かなり興味があります」
「そう? じゃあ話してあげる。神無月の頃よ。いつの年かは忘れてしまった。もうずっと前の……」
 いろはは言葉がわかる。足がある。自らの願いを叫び、走っていける力がある。けれどそうできない物もあるだろう。そうできない、存在もあるだろう。今目の前にいる、二人の神もそうだった。声にならない痛みを抱え、自ら歩いて逃れる事も出来ず、それでも人を諦めないで、ただ立ち尽くした年月はどれ程か。
 今、やちよは笑う。穏やかに、嬉しそうに、あるいは悪戯っぽく。その笑顔が失われていた時を想うと、目眩がした。いつかまた失われる事があるのだろうかと、そう考えるだけで泣きたくなった。
(……守りたい)
 叶うなら、彼女の全てを。何度でもそう思っては、その方法がわからずに呆然とする。やちよより先に逝くであろう自分が口惜しくて仕方ない。自らを殺す術も持たない神を置いて、一人満たされて逝くであろう自分が憎たらしい。その時にやちよが泣いてくれるとわかっているからこそ、想像ですら自分が許せない。
 寂しがりないろはの神は、きっと巫女を喪ったらひび割れてしまいそうな程悲しむのだろう。下手をしたらそのまま消えてしまうかもしれない。それくらい、そう確信できるくらいに、いろはは愛されているのに。
(笑っていて欲しいと思うのは、我儘なんだろうな……)
 神はきっと、笑顔を失うだろう。そうならないで欲しいと思うのに、それが我儘でしかない事に愕然とするのだ。置いて行く癖に、自分がやちよをそうしてしまうのに、そうならないで欲しいなんて酷い我儘。それでもいろはは、そう願わずにはいられない。
 やちよはいろはの笑顔を守ろうとしてくれる。いろはが悲しみなど抱かぬように、必死に心を尽くしてくれる。それがとても嬉しいと、幸せだと思ったから。
(守りたいの……やちよさん)
 いろはもまた、やちよを守りたいと思うのだ。限りない温かさを与えてくれるこの神を。いろはの存在、全てで。