どっぐらんの裏側

今まで書いた物まとめたり、ちょっと長めの独り言呟いたり。※無断転載禁止

ifマギレコ01

 

 全てを失った後に、一人の少女を拾った。それは、全ての始まりとなる少女だった。
「七海さん」
 そっと。驚かせないようにかけた声は、あまりに小さく吐息のようだ。いっそ届くかどうかもわからないくらいの声量は、自分でも笑えるくらい震えている。
「……なんですか」
「そろそろ帰った方がいいよ。もう夜も遅いから」
 こちり、こちり。壁にかかった時計から、規則的な音が響いていた。短信が十一を過ぎたそれをちらりと見上げ、笑顔で促せば不満そうな顔。
「もう、電車がない気がします」
「どうかな。ギリギリ終電には間に合うかも」
「そうだとしても、この時間に一人じゃ補導される」
「塾だったって言えば平気だよ」

 追い縋ってくる、気配がした。必死になって手を伸ばしてくる心を感じた。それでも冷たくそう言って、リビングの扉を開けに行く。
「駅まで送ろうか?」
「……いいです」
 もう何度目のやり取りだろう。調査のためと遅くまで引き回しても、こうして家に上げて夕食を共にしても、最後には冷たく突き放す。そんな自分に少女が焦れていると気づいても、態度はずっと変わらぬままだ。……表面上は。
「いろはさんって、冷たいですよね」
「やっぱり家まで送っていった方がいい?」
「そういう話をしてるんじゃない」
(……知ってる)
 返す言葉は、すんでのところで呑み込んだ。思ったよりも努力が必要だった事に自分自身で驚きつつ、表面上は穏やかな笑顔を浮かべたまま。ああ、どんどん知らないふりが上手くなる。
「今日、帰りたくないの」
「……どうして?」
「家に帰っても、誰もいない」
「それはいつもでしょ?」
「いつもだけど……特別寂しい日だってあるわ。いろはさんだってそうじゃない?」
「……そうかもね」
 彼女の想いには気づいていた。まるで毛を逆立てた仔猫のような少女だが、いろはにはよく懐いている。今でも晴れやかな笑顔を浮かべる事は少ないが、ぴんと尾を立てて擦り寄ってくる気配はあった。
 彼女の想いには、気づいている。
「ほら、終電もなくなっちゃう」
「今行っても間に合うか五分五分です」
「グリーフシードも余ってるし、今こそ魔力の使い時じゃないかな?」
 けれど、いろははやちよの気持ちには応えられない。いつ死を選ぶともわからないいろはには、誰かを受け入れてやるだけの……余裕がない。
「冷血!」
「……気をつけてね」
 幼い頃に家族を事故で亡くし、今遺っているのはこの家だけ。両親を喪った時に奪われかけた物を、魂と引き換えに手元に残した。生き急ぐように仕事を得て、必死になって社会的地位を手に入れた。そして離れ離れになっていた妹を呼び戻し、ようやくまた家族に戻る。やっとの思いで絆を握り、また、今度こそ、この家で幸せに生きていこうとした……矢先。
 ――妹が、死んだ。不治の病だった。
(……もう、誰も、いらない)
 大切だったものは全て喪われた。本当に大切にしたかったものはあっさりといろはを置いて消えてしまった。抱いていたはずの暖かいものを喪って、その空洞が今でも大きな悲鳴を上げる。伽藍堂にわんわんと風が吹き込んで、おおお……と悲しい叫びを上げる。
(こんな想いをするくらいなら、大切なものなんてない方がいい)
「いろはさん?」
「っ」
 きしり。強い痛みを感じて胸を押さえると、腕にそっと手が触れた。覗き込んでくる少女は心配そうな表情をしていて、それを見たら眉根が寄る。
(……うい)
 優しい眼差しだ。少し垂れた目元は彼女の人柄を表すようで、一瞬視線が絡んだだけで自分を慕ってくれているのがわかって、それが余計に……辛い。
「……かえらないで」
「いろは、さん?」
「どこにも、いかないで……っ」
 妹が今も生きていたならば、こんな風に成長しただろうかと。どうしようもなく考えてしまうから――辛いのだ。
「ごめんね……っ!」
「っ」
 彼女の想いに気付いている。そして自分が、同じ想いを向けてあげられない事もわかっていた。いつまでも逝った者を追いかけて、いっそ同じ場所に行けたらと願う。いろはに誰かを想う暇はない。誰かと恋をする時間など、ないのだ。
「ごめんなさい」
 ――掻き抱いた体は、ゾッとするほど華奢だった。触れた体温は、悲しい程妹とは違うものだった。抱き返してくれたその腕は、泣きたくなる程……優しかった。
「ごめんね」
「……いいですよ」
「ごめん」
「はい」
「ごめんなさい」
「……いいの」
 やちよは馬鹿ではない。いろはの過去を知らないわけでもない。彼女が自分の背後に、妹を見ている事だって気づいていた。
(でも……いいの)
 幻影は、いつまでも幻影のままだ。やちよがいろはに近づけば近づく程、彼女は妹との違いを知るだろう。それでも一度触れたら、きっともう手放せない。優しい彼女は、既にやちよを無碍に出来なくなっているのだから。
(今はまだ……いいのよ)
 いずれ彼女も気づくだろう。自分を追いかける少女が、ただ恋慕だけでそうしているわけではないのだと。けれどそれまでに、いろはを絡め取ってしまえばいい。中学生だと舐めてかかって、痛い目を見ればいいのだ。
「いいんですよ」
 純粋さだけで恋はできない。駆け引きに勝てなければ欲しいモノは手に入らない。いろははやちよを『仔猫のような可愛い存在』程度にしか思っていないようだ。ならば精々それらしく振舞って、より深いところまで踏み込んでしまおう。逃がしはしない。逃がしてなんかやるものか。たとえこの先どんなに拒絶されたとして、決して離れてやるつもりなどない。
 中学生だろうが、年下だろうが、恋する女である事に変わりはないのだ。
 綺麗な花にも棘はある。そして――
(私にも、秘密くらいある)