どっぐらんの裏側

今まで書いた物まとめたり、ちょっと長めの独り言呟いたり。※無断転載禁止

ifマギレコ02

 

 ただひたすら想っていた相手を喪った時、同時に未来も失った気がしていた。命を捧げた願いは今となってはごみくず同然で、そこに少しの価値もない。いっそ死ねたら楽だろうに、志半ばで倒れた家族の事を思うとそれも出来ないままだ。神の存在を信じるわけではないが、自死して妹達と違う世界へ行くのも嫌だった。
 生きるために戦うのではなく、死なないために戦っている。あるいは諦めがつく程に強い相手を探しているのかもしれない。

「どいて!」
「っ……!」
 飛び出し過ぎた少女の腕を、強引に掴んで引き寄せる。同時に自分も体勢を低くして、魔女の一撃を回避した。頭上でごうと風を切る音を聞き、その音が止む前に走り出す。
「いろはさん!」
「じっとしてて!」
 これ以上場を乱されるのはかなわない。一人だったらとっくのとうに片付いていただろうに、荷物がいるせいでだいぶ時間を食ってしまった。これでまた、今日も彼女を帰してやれない。
「っ……信用問題とか、色々あるんだけど……なっ!」
 振り下ろされる一撃を刃でいなし、同時に光の鎖で魔女を縛る。それを矢でもって地面に固定しながら、波打つ剛腕を素早く駆け上った。空いている腕が羽虫を潰すべく迫ってくるが、それよりいろはの方がいくらも早い。
「……ごめんね。せめて安らかに」
 魔女の脳天に押し当てた武器に、まばゆい光が集束した。一拍置いてそれが弾ければ、彼女が悲痛な悲鳴を上げる。ドン、という音とともに結界の天井から地面までを一筋の流れ星が貫き、やがて。
「っ……いろは、さん!」
「……無事だよ」
 目も眩むような光と、音もない爆発。舞い散る残骸に桜の花びら。その渦の中から姿を現したいろはは、必死のやちよを見てうっすらと笑みを浮かべた。そっとかざした手で魔女の種を受け止め、浮かべる表情は今にも消えてしまいそうなそれ。
「あげる」
「でも、これ……」
「私はまだ平気だから。七海さんの方がよっぽど濁ってる」
「……はい」
 白いフードは光の残骸を反射して眩しい程なのに、その影となった表情は闇に溶けるようだった。いつもいつも、魔女を倒した後はこんな顔をする。悲しんでいるのか、落ち込んでいるのか。それとも苛立っているのか。淡く微笑むだけの彼女からは正しい感情を読み切れず、やちよは少し眉を寄せる。
「帰ろうか」
「……はい」
「お祖母さんにちゃんと連絡してね」
「はい」
 結界が、独特な音を立ててゆっくり蕩けた。それと同時に顔を出した月明かりを浴びながら、もういつも通りのいろはが笑う。少し困ったようなその表情に、やちよは素直に携帯を取り出した。
「……もしもし、おばあちゃん? 今日もいろはさんの家に泊まってく。うん、うん。ごめんなさい。明日は夕方には帰ると思う。うん」
 やちよの願いによって健康な体を取り戻した祖母は、電話の向こうで優しい声を出す。それでもお小言はあるのだが、孫の恋心を知ってか然程強い事を言いはしなかった。
「いろはさんによろしくって」
「……かしこまりました」
 今日も大した事はなかったお小言を聞き流し、携帯をしまうと隣を見る。この間初めて家に泊めてくれた時から、いろははやちよを泊める事に躊躇いがなくなったようだ。祖母の退院と共に一度挨拶をしたせいもあるのか、無理にやちよを帰そうともしない。二十三時を過ぎると分かれば、彼女から連絡を促す事も多くなった。
「夕飯、どこかで食べてから帰ろうか」
「はい」
「何がいい?」
「この間連れて行ってくれたお蕎麦屋さん、とか?」
「ああ、いいね。じゃあそうしようか」
 連れだって歩き出しながら、少し高い位置にある横顔を伺ってみる。満月の強い光を浴びて、いろはの肌はまるで彫像のようにも見えた。滑らかに透き通り、いっそ生気がないような。
 肩までしかない髪が風に揺れればやけに儚く見えて、何故だか妙に心が騒ぐ。ともすればこのまま消えてしまいそうな気さえして、やちよは慌てて口を開いた。
「そういえば、ずっと聞きたかった事があるんですけど」
「なにかな?」
「いろはさんって、魔女を倒す時にいつも何か言ってますよね」
「……」
「あれ、なんて言ってるんですか?」
 死に場所を探している。いろはを見る度、そう思った。魔女との戦闘は誰よりも強いのに、生き残りたいという意思を感じないのだ。ただ義務的に、機械のような正確さで敵を屠り、それに感動も高揚もない。それどころか毎回落胆の色すら見せる彼女は、きっと自分を殺してくれる存在を探しているのだろうと。
「祈ってるの」
「……祈ってる?」
「そう。もう苦しまなくていいようにって」
「……あんな、化け物に?」
 不思議そうなやちよを見下ろして、いろははやはり、複雑な表情を浮かべた。悲しみ、落胆、苛立ち。そして……憧れ?
「七海さんは、本はあまり読まない?」
「いえ、それなりに読む方だと思いますけど」
「どんな本が好きなの?」
「……ミステリとか、歴史物とか」
「そっか」
「あの、何か関係あるんですか? この質問」
 茫洋とした表情が恐ろしくて思わず立ち止まれば、そんなやちよを一度だけ振り返って、幽霊のような彼女が笑う。そのまま、コツリ……コツリ。夜にヒールの音を響かせて、先を行く彼女の背中がやけに遠く見えた。
「いろはさん」
「……どうしたの?」
 慌てて追いかけて細い手首を掴めば、彼女がぴたりと歩みを止める。ゆっくりと、時間をかけて振り返ったいろははあまりにも綺麗に微笑んでいて、その表情に息を呑んだ。
 ときめきからではない。この感情は……恐怖だ。
「どうして……化け物に、祈るの」
 彼女は何かを隠している。やちよの知らない何かを知っている。そしてそれが、彼女にあんな表情を浮かべさせるのだ。彼女に……苦しみを与えているのだ。
「……私が、優しいから」
「はぐらかさないで」
「じゃあ、冷たいから」
「いろはさんっ」
 先程浮かべた憧れは、なんだろう。やちよを見下ろして浮かべたそれの理由は……。
「なにか、隠してる?」
「……」
 彼女は多くを知っている。そしてそれを他者に教える事を厭わない。求められれば答え、そうして周囲を統率している。群れのリーダーとして、誰よりも強い者として。
 彼女は全てを知っている。おそらく……全てを。
「……隠し事なんて、誰にでもあるでしょ?」
「それは……そうだけど」
 やちよはそんな彼女を、手に入れたいと思った。そして利用しようとも思っていた。いなくなった友人を探すために、この町で自由に動ける権利が欲しかったから。いつしかその感情は確かな恋心に変わっていったけれど、それでも当初の目的を忘れたわけではない。
「私のこと、なんでも話す口の軽い女だって思ってた?」
「っ……」
 人が良さそうだから近づいた。馬鹿がつくほどの正直者だとわかったから利用しようとした。けれどいろはは、それだけではない。今はっきりとそうわかった。あるいは今更、それに気づいた。

「逃げるなら、今の内だよ」
「……どういう」
「私に寄りかかられたら、きっと重すぎて折れちゃうから」
 にこり。綺麗な笑顔を浮かべ、やちよの知らないいろはが笑う。桜色をした唇の端だけが、つ、と持ち上がり、それを見たら全身に淡く鳥肌が立つようだった。
「七海さんは私をいい人だって思ってくれてるみたいだけど……」
 環いろはは、底が知れない。もしくは、底が深すぎる。その虚ろを覗き込んでは、やちよは呆然と目を見張った。
 そんな少女の頬をさらりと撫でて、いろはは優しくこう囁く。その声はとても甘く、あるいは冷たく……そして苦々しい、毒のようでもあったのだ。
「私にも……秘密くらいあるんだよ?」