いろは観察日記01

　五月一日（金）

　あまりにも暇なので日記をつける事にした。ただの日記は元々書いているので、これは観察日記。何を観察するかって？　そんなの一つ……いえ一人に決まっているじゃない。

　環いろは。みかづき荘の住人であり、チームのリーダーであり、私の恋人である彼女の観察日記。せっかく一日中一緒にいられるんだから、あの人をもっとよく知る時間にしましょう。
　いつまで続くかはわからないけれど、いい楽しみを見つけたわ。

　とはいえこの瞬間までそんなつもりもなかったから、今日は大して観察してないのよね。だから今日は、私から見たあの人の事でも書いておきましょうか。一応朝から思い起こしつつ、ね。

　今日は私の方が早く起きた。最近はいろはが先に起きる事が多かったから、なんだか少し新鮮な気持ちになったわね。
　昨日は夜更かしをしたからかしら。いつもなら起きる時間でも、寝息が全然乱れない。ちょっと触ったくらいじゃ起きなかったから、いい時間を過ごせたわ。実はいろはの寝顔をまじまじと眺める機会ってあんまりなかったから、ここぞとばかりに堪能させてもらった。
　それで気付いた事なんだけど、あの人、なんていうか、絵にしやすそうな顔してるのよね。特徴を平面に落とし込みやすいって言うか……まあ門外漢だからはっきりとした事は言えないんだけど、世間が思う『美少女』をそのまま当てはめた雰囲気よねって。
　眉も綺麗な形だし目も大きいし、ぱっちり二重だし、鼻の形も綺麗だし、口も小さくて、唇だって綺麗な桜色。眠っていたからこそよくわかったんだけど、睫毛もかなり濃いのよ。きっと生涯アイラインとは無縁でしょうね。使ったとしても、目の輪郭を際立たせるためではないんじゃないかしら。これ以上は必要ないくらいだもの。
　肌が白いからチークも映えるでしょうね。今度おメイクしてみようかしら。きっと可愛い。
　ああでも、何もしなくてもシミ一つないし、せっかくの剥きたてゆで卵に油を塗りたくるのも野暮かしら。お風呂上りなんて美味しそうなんだから、本当に。実際何度か吸ってみたけど、あんまり柔らかいからびっくりするの。白玉の方が的確かもしれないわね。
　それが一晩経って、朝のいろははさらさらだった。乾燥してると言うより、文字通り寝かせて落ち着いたって感じかしら。どっちも気持ちいいから好き。ほんと、許されるなら四六時中触っていたいわ。それか抱きしめていたい。落ち着くのよ。
　結局その時は三十分以上いろはに触ってたわ。起きた時、すっごく驚いた顔したわよね。私があんまり近くにいたものだから。しどろもどろな朝の挨拶が可愛かった。
　というか、なんで未だに照れるのかしらね？　キスなんて可愛いく思えるくらい、色々な事をしてるのに。額が触れ合うくらいなんて事ないでしょう。
　そう言うと困った顔して「そういう問題じゃありません」って言うんだけど、じゃあ何が問題なのよ。いつも答えてくれないから、結局わからずじまいだわ。まあ、大体の理由はわかってるけど。
　そうね。いい傾向だと思うわ。恋人には内面含めた私そのものを愛してもらいたいけど、容姿を気に入ってくれるに越した事はないもの。何年経っても見惚れてもらえるように努力しましょう。
　あ、そうそう。見惚れるって言えば、最近気づいたんだけど、いろはってお尻にほくろがあるのよね。あと、耳の裏。どっちも自分じゃ見えないから、たぶんあの人自身も知らないんじゃないかしら。水着でも隠れる所だし、まじまじと見た事があるのは私だけかも。というか、そうだったらいいわ。いろはも知らないいろはを、私だけが知っているって素敵じゃない？
　そして、これからも私だけである事を切に願うわ。

　んー、後は、そうね。
　あ、今日のお昼はパスタだったんだけど、フェリシアの希望で漫画飯って言うのをやってみたのよ。まあ実際はアニメに出てきた料理だし、平麺だったからその物ではなかったんだけど。
　ミートボールを入れたボロネーゼ。これがかなり美味しくて、皆で大絶賛だったわ。ボロネーゼソースは沢山作っていたみたいだし、また作って欲しい。今度いろはに頼んでみましょう。
　そこで思ったんだけど、あの人、本当に料理が上手くなったと思うのよ。もちろん出会った時から上手な方だったんだけど、最近は特にそう感じる。
　特に洋食ね。いろは自身和食が好きだし、私も和食の方が好みだから、うちの食卓に洋食が並ぶ事ってあんまりないの。だから当然あの人のレパートリーも和食の方が多いんだけど……最近洋食がじわじわ増えてるのよね。今日は新作です、って言葉を聞く機会も増えたし。
　練習してる素振りなんてないからぶっつけ本番だと思うんだけど……それで完璧に美味しいから毎回びっくりするの。だって完璧よ？
　レシピ通りに作っても、出来上がるのはあくまで普通だと思うのよ。なのにいろはの新作は、甘みとかコクとか、そういうのが完璧に私好みなの。本当に完璧。だから毎回唸るし、おかわりする。一回で終わらない時も増えてるし……完璧なのもちょっと困るのよね。太らない体質だけど、その内響いてきそうでちょっと怖いわ。
　まあ贅沢な悩みだし実際はそこまで悩んでないからいいんだけれど。
　やっぱり料理が美味しいって幸せだわ。その上好きな人の手料理なんだもの。本当に幸せ。
　食べるって命を繋ぐって事で、それって生きるって事。生きるって事は明日を諦めない事で……それは守りたい物があるから。今が好きだから。今を昨日にするために、明日を今日にするために、未来を今に連れてくるために、食べる。明日の一歩のために、今日食べるの。明日の自分の背中を押すために、今日の自分がしっかり食事をしなくちゃいけない。
　食べるって生まれた時からやってる事だからあんまりにも当たり前になってしまっているけれど、本当はとっても難しい事なのよ。行きたいところがあって、生きたい未来がなければ出来ないんだもの。前を向いていなければ出来ない。
　本当は毎日それを出来ているだけで凄いと思う。なのに今の私はそれを楽しみにしているし、美味しい、幸せって思えているの。それって奇跡みたいに素敵な事だと思うのよ。
　だって、義務じゃない。惰性じゃない。仕方なく食べるんじゃない。流れに任せて生きてるわけじゃないんだもの。死なないために食べてるんじゃない。生きるために、あるいは楽しみのために食べているの。それって素晴らしい事だわ。少なくとも、私にとっては一つの幸せの形。人に言ったら笑われそうだから、絶対に言わないけどね。
　それを他でもないいろはが繋いでくれてるっていうのが、本当に嬉しいのよ。私だけじゃなくて、あの人も楽しみにしてくれてるのが、嬉しいの。
　おいしいって言ったら、ほっとした顔になるのが好き。おかわりある？　って聞いた時にね、くしゃって笑ういろはが好きなのよ。空になった皿に泡を乗せる時の、嬉しそうな横顔が愛しいの。
　私達が、私が、あの人の幸せの中にちゃんといるんだって、私があの人の幸せの一部を作れているんだって、その実感がね、幸せなのよ。本当に。

　夕方、ういちゃんと二人でキッチンに立って、二人そろって鼻歌を歌ってるのを見た時にね、情けないけど涙が出たわ。だって姉妹揃ってそっくりな笑顔を浮かべて、なんでもない日常に歌ってるのよ。命をかけなきゃいけなかった二人が、奇跡と魔法がなければ並んで料理する事も出来なかったでしょう二人が、本当になんでもない日常を送っているの。私の家で、すっかり気の抜けた笑顔で、フェリシアと鶴乃が好きなアニメのオープニングを歌って、さなの好物を作りながら。
　……心の底から、幸せな光景だと思ったわ。
　一度は全部を失って、食事なんて日々を繋ぐ最低限で、リビングに電気をつけない日もあった。キッチンの明かりだけでおざなりな食事をした事もあったのに、今は毎日誰かの声がするの。好きな人が楽しそうに歌ってる声を聞ける。同じ食事を大した感慨もなく、二日も三日も続けて食べたあの日からは考えられないわ。
　今は一食で全部の鍋が空になるし、なんなら備蓄自体が難しいしね。
　……うーん、冷凍庫だけの物を買った方がいいかしら。

　そうそう、買い物と言えば、さっき久しぶりに家計簿を見たんだけど、いろはの凄まじい努力が感じられて別の意味で涙が出たわ……。チラシやクーポンが何枚も挟まってたし、その日安いお店の梯子とかしてるみたいだし……花の女子高生なのにごめんね。
　もう少し渡すわよって言ったら、少し迷ってから「試験期間だけそうしてもらえたら」って申し訳なさそうな顔をしてたけど、あなたは十分頑張ってるわよ。すっかりみかづき荘のお母さんだもの。
　どこにお嫁にやっても恥ずかしくないわねって言ったら、なんだかすごく微妙な顔をされたけど。

　……というか、それから微妙に機嫌が良くないのよね。さっきなんて何も言わずに自分の部屋に戻ろうとしてたし。今もイヤホンつけた上に背中向けて縫い物してるし。
　縫い物をしている時は「触るな」なのよね。イヤホンしてる時は「話しかけるな」だし。そろそろ寝る時間だけど、声かけていいのかしら。
　うーん。まあ一声かけてみて、まだ続けるようならそっとしておきましょう。

　とりあえず、今日はこのくらいでおしまい。
　明日は朝からしっかりといろはを観察する事にしましょう。