どっぐらんの裏側

今まで書いた物まとめたり、ちょっと長めの独り言呟いたり。※無断転載禁止

いろは観察日記03


 五月三日(日)


 昨日は予想に反してぐっすりだったわ。それで、今日はいい匂いで目が覚めた。甘酸っぱいイチゴの匂い。顔を洗う前にキッチンを覗いたら、いろはがジャムを作っていたわ。昨日下準備まではしてあったけれど、火を入れるのを忘れていたんですって。
 イチゴもそろそろ名残の時期ね。六月くらいまでは楽しめるけれど、早い種類は小粒のまとめ売りが始まってる。手作りジャムはその時期だけのとっておきだわ。

 煮詰める時に出てきた灰汁も、いろははきっちりとっておいてくれた。少し濃く入れた紅茶にとっておいた灰汁を入れて、なんちゃってロシアンティー。まだ他に誰も起きてこない時間の、内緒のお茶会は楽しかったわ。本来はジャムを作った者だけの特権だけれど、早起きのお駄賃ね。三文の得とはよく言ったものだわ。
 瓶詰めされたジャムは、なんだか宝石みたいだった。じっと覗き込む向こう側、ジャムよりもっと甘そうな瞳があって、なんだか胸がくしゅくしゅしたわ。あの人の瞳を宝石みたいだと思うから、ジャムに対してもそう思ったのかしらね……なんて。これはちょっと臭すぎるか。

 瓶詰めが一通り終わったところで、他の皆も起きてきた。ジャムの匂いを嗅ぎつけて口を開ける雛鳥達に、いろははいつもの困り笑顔。まだ熱いからダメだって言えばいいだけなのに、わざわざアイスを取り出すから笑っちゃったわ。私もしれっと混ざってみたら、面白そうにくしゃっと笑ったのが可愛かった。

 今日の朝食は、お弁当メニュー。
 おにぎり、卵焼き、ウィンナー、焼き鮭、青菜の海苔和え。それとお味噌汁。おにぎりは、おかか、梅、こんぶ、高菜、鶏そぼろの五種類だったわ。ウィンナーはフェリシアとういちゃんが炒めてくれたんだけど、タコだったりカニだったり、宇宙人だったり。色々な形をしていて面白かった。
 今日の卵は甘い味。甘い物はおかずにならないという人も多いけれど、卵焼きは甘い方が好きよ。しょっぱい物の合間に挟むとほっとするもの。我が家は全員甘い卵焼きが好きだから、三巻焼いて全部なくなった。さすが食べ盛り。

 今日のお皿洗いは私の当番。でも、半分いろはに手伝ってもらった。ゆっくりしててって言ったのに、いつの間にか傍にいたのよ。せっせとお皿を拭く姿に文句を言ったんだけど、聞こえないふりをされた。私の寂しがりがうつったのかしらね。

 思えば、いろはっていつも傍にいる。私から行く事だって沢山あるけど、それ以上にいろはが寄ってくる事の方が多いんじゃないかしら。夜だっていつの間にか部屋にいたりするし、朝もタイマーよりちょっとだけ早く起こしに来たりするし、私が帰ったら洗面所までとことこついてくるし。……すりこみ?
 考えだしたら気になってきた。いつからそうなったのかしら。
 付き合い始めはそんな事なかった気がするんだけどな。誘うのは大抵私からで、部屋にも呼ばないと入ってこなかった気がする……けど。
 ああでも、ウワサを探していた時からその片鱗はあったかも? 私の威嚇に張り合ったのもあるんでしょうけど、わざわざ頭を下げて……。助手って言われて喜ぶ子なんている? 面と向かって下僕宣言したのに、あんなに嬉しそうにされるとは思わなかったわ。今思えば変わった子だったわね……。
 うーん、ますますすりこみの説が濃厚になってきたかしら。まあ、たとえそうだったとしても別にいいんだけどね。傍にいてくれるのは嬉しいし。

 午前中は映画を見たわ。立て続けに二本。いい機会だと思って動画サイトに登録したら、フェリシアとういちゃんが色んなアニメを見てるのよね。今日は国民的な幼女向けアニメの映画だったんだけど、中々どうして面白いものだわ。普通に見入ってしまったし、感動もした。いろはなんて気づいたら泣いてたし、さなもずびずびしてたわね。
 それが辛気臭くて嫌だったのか、二本目はフェリシアのチョイスでネイチャー系になったわ。途中水牛がライオンと戦う場面があったんだけど、リビングが一気にプロレス会場よ。あんまり汚い言葉を叫ぶものだから、さすがにいろはが注意してたわね。
 というか、フェリシアよ。私からの注意は殆ど右から左なのに、どうしていろはの言う事は聞くの? 言い返してるのも見た事ないし。それを愚痴ったら、さなが凄く曖昧な笑顔を浮かべたわ。気遣うようなっていうか……。ふんだ。私だってわかってるわよ。この家で一番大人なのはいろはだって言いたいんでしょ。
 そりゃあね? たまにフェリシアとおやつを取り合う事もあるわよ。つまみ食いをいろはに怒られる事だってある。わかってるわよ子供っぽいのは。だけど、私だってずーっとこうだったわけじゃないじゃない? 昔はもうちょっと威厳とか、こう……全部いろはが悪いのよ。
 だってあの人すぐに私を甘やかすんだもん。今日のなんちゃってロシアンティーもそうだし、昨日の膝枕だってそうだし、隙あらば甘えさせてくれるって言うか、気づいたら甘やかされてると言うか……。最近何にも我慢してないから、ついついこう、欲望とかに忠実に、あの。
 ……人間って甘さを知ったら駄目ね。もう昔の自分に戻れる気がしないもの。いえ、そもそも戻る必要なんてないのかもね。これが今の私の普通で、それっていろはが傍にいてくれるのが普通になったって事でもあって……それはとっても素敵な事だもの。
 素敵な事なんだけど……捨てられたら生きていけないわね、これ。

 やめやめ。起こってもいない事をあれこれ考えるのはやめるって決めたでしょう。
 大丈夫よ。あの人、私が甘えるとすっごい喜ぶんだから。ほんと、にこにこして……ん? もしかして飼殺され……やめましょう。

 一日中家にいると、なんだか食事の事ばかり考えている気がするわ。映画を二本見終わったところで、フェリシアのおなかが鳴ったから昼食の準備。今日はういちゃんとさなが焼きそばを作ってくれると言うので任せたわ。いろははまだちょっと不安そうだけど、さながいれば大丈夫でしょう。心配性ね。

 あ、そうそう。そういえば、いろはの心配性ってういちゃんが原因じゃないらしいのよ。私はてっきりシスコンが行き過ぎてなのかと思ってたんだけど、本当の原因はお母さんらしいのよね。
 二人のお母さんって、すごく忘れ物が多いんですって。病院に行くのに保険証を忘れる、買い物に行くのにお財布を忘れる。ういちゃんの着替えを届けに行くはずがその着替えを忘れる。
 だけどいろは曰くそれも可愛いくらいで、いろはを幼稚園までお迎えに行って、そのいろはを忘れて帰った事があるんですって。ママ友と立ち話してる間に皆と公園で遊んでたら、いつの間にかお母さんが帰っちゃっててびっくりしたって言ってたわ。まあ、確かに少しエキセントリック……失礼、大らかな部分がある方だなぁとは思ったけれど、子供を迎えに行ってその子供を忘れるって、ねえ?
 外食した後にお財布がない事に気付くなんてしょっちゅうで、お母さんがお金を取りに行っている間、「この子を置いていくので!」って人質にされていた事もあったらしいわ。それは心配性にもなるわよね……。
 まあその分いろはがしっかり者に育ったわけだし……よかった、んじゃ、ないかしら? ……そういう問題じゃないか。

 ともあれ、お昼は無事完成したし、焼きそばは美味しかった。目玉焼きが乗ってるスペシャル仕様だったのよ。完璧な半熟。目玉焼きのせって、なんだかやたらとときめくわよね。
 その後は各自自由時間。フェリシアとういちゃんはまた映画を見ていたみたいね。たまに楽しそうな笑い声が聞こえてた。さなは勉強するって言って部屋に戻ったわ。本当に真面目ね。成績も順調に上がってるし、今度またご褒美でも考えましょうか。この間一緒に買い物に行ったとき、綺麗な栞を見つけて見惚れてたもの。月々渡してるお小遣いだと少し勇気がいる値段だったし、あれを買っておいてあげましょう。

 いろはは案の定私についてきた。特に何か用事があるわけでもなく、無言でベッドに上がって携帯を眺め始めるから、その背中にくっついてみた。髪に鼻を埋めると、今日はちょっとイチゴの匂いがしたわ。あとはいろは自身の甘い匂い。
 どうしてかしらね? 私といろはは使ってるシャンプーも同じなのに、やっぱり少し違う匂いがする。抱きしめるとやけに落ち着いて……やっぱりちょっと眠くなる。
 あとこの人からは、いつも少しだけ和食系の匂いがする気がするのよ。臭いとかじゃなくて、なんていうか、こう、慣れ親しんで安心する……ほっとする匂い。ちょっとおなかもすく感じの。キッチンに立つ機会が多いからなのか……それともちょっとおばあちゃん気質だからなのか。
 ああ、そういえばおばあちゃんの割烹着も落ち着く匂いがしたなぁ。素朴で、優しくて、なんだか気が緩む匂い。もちろんいろはの方がずっとみずみずしい香りなんだけど、根っこのところがちょっとだけ似てる気がしたわ。
 だから眠くなるのかしら、って考えたけど、もしそうだったら、もう私がいろはを好きになるのは約束された未来でしかなかった気がして、そう思った自分に少し笑えた。
 私が色んな所の匂いを嗅いでる間、いろはは何にも言わなかったわ。というか集中してて、気にもならなかったみたい。いつもすっとしてる姿勢をちょっと丸めて、膝を抱えるように携帯を眺める姿は可愛かったわ。こぢんまりして、愛くるしい感じ。
 でもいくら待ってもいろはから反応がないのは少し寂しいわね。今日は本を読む気分でもないし……。でも集中してるところをあんまりつっつくと怒られちゃうから、肩に顎を置くだけにしたわ。えらいでしょう。
 それで、邪魔しないようにちょーっとだけ体重を預けて、そーっと手元を覗き込んだら……珍しく漫画なんか読んでたから、ちょっとびっくりしたわ。
 いろはって、あんまり本を読まないのよね。小説もそうだけど、漫画もそんなに。そんな人が熱心に読む漫画はどんな物なんだろうって思ったら、日常系料理漫画。しかも食レポ系とかごちそうご飯系じゃなくって、どっちかって言うと倹約系料理ばっかりの物ね。
 どこまでもらしいと言うかなんと言うか……。
 でも、最近の疑問が一つだけ解消されたわ。調べてみてわかったんだけど、その漫画の中にいくつか見知った料理が出てきたの。新作ですって出された物のいくつかは、これを読んで試してみた物だったのね。
 そして今てんぷらの回を熱心に読んでいるという事は……今日の夕飯は決まりね。

 なんて、ドヤった癖に半分外れ。てんぷらとお蕎麦、もしくは細めのうどんかと思ってたんだけど、まさかの天丼だったわ。今日はカロリーで攻めるんですって。
 見た目はそんなに変化がないけど、いろはもストレスが溜まってるのかもしれないわね。最近料理にかける時間が長いし、結構手間がかかる物も作るし。この間はとうとうぬか漬けに手を出したからね……。野菜室を開けたらおばあちゃんが使ってた樽が見えて、ちょっと涙が出たわよ……。
 そんなこんなで、今日の夕飯は天丼とシジミ赤味噌汁と、ぬか漬けだったわ。天ぷらの内容は、エビ、かぼちゃ、さつまいも、エリンギ、インゲン、アジ、玉ねぎと紅ショウガのかき揚げだったわ。いろはとしてはアナゴを揚げてみたかったらしいんだけど、高いから手が出なかったんですって。
 フェリシアの丼は、なんていうかもう、タワーだったわ。エビって、立つのね。見た目に大興奮してたし、味にも大満足だったわ。カリっと揚がってたし、タレが思いの外さっぱりしてたから、全然胸焼けは起こさなかった。さなとういちゃんには多いかなと思ってたんだけど、ぺろっと平らげられる程度には軽い口当たりだったのはさすがよね。玉ねぎと紅ショウガの天ぷらがさっぱりしてたのもあったかも。
 あと、ぬか漬けね。きゅうりとカブの二種類で、最初は少し薄めかな? って思うくらいだったんだけど、その分野菜本来の甘みがわかって、てんぷらの途中に挟むとすごくすっきりしたわ。
 美味しかった。美味しかったんだけど……どこまで極めるつもりなのかしら。漬物……しかも毎日かき混ぜないといけないぬか床に手を出したらもう……戻れないわよ、いろは……。今日さっそく調合割合とか試してたし……。
 進化が楽しみでもあるけど、不安でもあるわ……。

 そうそう、今日は一緒にお風呂に入ったの。てんぷらに時間を取られて夕食の時間が少し遅くなったから。食器を洗い終わった時にはもう十一時近くで、皆も部屋に行った後だったから。
 さなはもう少しだけ勉強。フェリシアとういちゃんは、明日早起きしてアニメの一気見をするんですって。五十話だから……オープニングとエンディングを飛ばしたとしても……かなりの耐久になるのかしらね。よくやるわ。

 おかげさまで、久しぶりに明るいところでいろはの裸を見られたわ。お風呂でその気になるつもりはなかったんだけど、やっぱりちょっとくるものがあった。あんまりじろじろ見ていたら、途中でシャワーをかけられたわ。それでも見たんだけど。
 キスマークって、そそらない? 自分がつけた物ならなおさら。しかも基本的に服を脱がないと……っていうか、下着を取らないと見えない場所にしかつけないから、余計えっちなのよ。
 所有印とは言うけど、私はあんまりそれを他人に見せびらかしたくないの。だってキスマークを見つけたら、自然と夜のいろはを想像されそうじゃない? 最中を想像しないまでも、セックスしたんだ、とは思うでしょう。それが嫌なの。私だけの秘密だもの。誰にも見せてあげない。想像だってさせたくない。だから見えない位置にしかつけないの。それで十分。
 いい機会だからそれを教えてあげたら、いろはは自分の体をちらっと見て、それから私を見て、なんとも言えない顔をした。照れと呆れと嬉しさがごっちゃまぜ、みたいな顔。可愛かったからキスしようとしたら、またシャワーをかけられたわ。なんでよ。
 とはいえ、雰囲気はよかったわ。押せば落ちる。確実にね。二人で向かい合って湯船につかってる間も、甘めの会話が多かったもの。
 今いろはは髪を乾かしてて、私はその間にこれを書いてる。きっとそろそろ終わる頃合いだろうから、今日はもうおしまいにするわ。あんまり眠くはないけれど、速めにベッドに入りましょう。
 最近は家に籠ってばかりで運動不足だし、室内でも出来る運動はしておかないと。ね?

 今日もいい夢が見られそうだわ。