どっぐらんの裏側

今まで書いた物まとめたり、ちょっと長めの独り言呟いたり。※無断転載禁止

いろは観察日記07


 五月七日(木)

 昨日の夜、いろはをちょっとつついてみた。そしたら青くなって、白くなって、最後に赤くなったわ。こう言っちゃ悪いんだけど、面白かった。
 色々と予想通りだったわ。私を部屋まで運んだ時、寝苦しそうだからと服を着替えさせたところで、我慢がきかなくなったんですって。半泣きで頭を下げるから、ぐずぐずに甘やかしておいた。他の誰かなら駄目だけれど、私にならいいのよ。いろはの狼部分が見られて、むしろ嬉しいくらいだもの。

 でも覚えてないのは悔しいから、責任を持ってもう一回してもらった。罪悪感と許された安心感でぐちゃぐちゃになったいろはは、なんだか凄く扇情的だったわ。表情は受け身の時に近いのに、吐息の熱さと性急さはまさしく獣だもの。あの時もそうだったのかしら。
 とうぶん撮影もないからって、随分痕をつけられたわ。まだ暑い時期ではないけれど、肩の噛み痕はどうやって隠そうかしらね。普通のTシャツだと微妙に見えちゃうし……しばらくは襟物で過ごしましょうか。

 今日は朝からひと騒動あったわ。簡単に言えば、いろはが階段を転げ落ちた。怪我までしたから笑っちゃいけないんだけど……ごめんね。その瞬間、私は大爆笑だったわ。
 だって、くしゃみと共に落下していったのよ。「はっくちょん! あーーーーっ!!!!」って。しかも連続尻もちで落ちていったから、もう、ね。どうしても吹き出すのを止められなかったの。前にもこんな事あったわよね。中途半端に受け身を取って、お尻で階段を下りていく事。最後の一段でようやく止まって、真っ赤な顔は半べそだった。
 手が痛いって言うから少し診てみたんだけど、どうやら捻挫してるみたいね。変に手すりに縋ったから、たぶん少し捻ったんだと思う。利き手だからしばらくは不便しそうだわ。

 と、いう事で。
 今日の朝食は私が担当。大まかな献立はいろはが立ててくれていたから、それに沿ったメニューで頑張ったわ。とはいえ以前はやっていた事だから、そこまで不安はなかった。最近こそいろはに任せきりの台所だけれど、私があの人に教えた料理だって沢山あるんだもの。昔取った杵柄って言葉もあるくらいだし、軽くこなすつもりでいたわ。指定された食材を全部出してみるまでは、だけど。
 ……ほんとに、ね。量が尋常じゃない。
 うちはいつから男子寮になったのかしらって真剣に考えるくらいには、量が多いのよ。どうりで冷凍庫を買う話に反対しなかったわけだわ。無駄遣いを嫌うあの人が、二つ返事で了承しただけはある。
 まず、目玉焼きの量。普通に作ったって五個なのに、フェリシアは一回に三個食べるし鶴乃もいるしで、今日は八個よ? 一パックは十個入り。ほぼ消える。その瞬間、最近朝食に和食が多い理由も理解したわ。卵焼きを三巻き作るのに使う卵は、五個なのよ。目玉焼きを七個焼くなら、卵焼きで五個の方が経済的なんだわ。卵焼き自体も大体何か混ざっているし、甘い卵焼きでも牛乳を入れるわけだから嵩は増える。……なるほど。
 あと、パンよりお米の方が満腹になりやすいのもあるんでしょうね。フェリシアを満足させるとなったら、パンを一斤与えてもまだ足りないもの。食べられるから食べる私とは違って、あの子は単純に成長期。食べても食べてもカロリーを消費するのか、食事の量を減らすと目に見えて体重が減るの。今高一だけど、まだにょきにょき伸びてるものね。いつまで続くのかしら……。
 とにもかくにも、朝はベーコンエッグと塩鮭、あとほうれん草のおひたし、納豆に冷ややっこ。そしてスナップエンドウと油揚げの味噌汁。いろはがお味噌汁は沢山作るように言うから何かと思ったけど、すぐに理由がわかったわ。フェリシアのおかわりはいつもの事なんだけど、今日はさなとういちゃんも一回ずつおかわり。スナップエンドウの味噌汁、好きだったのね。
 いろはは手首が痛むのか、食事するのに苦労してた。あーんしてあげるって言ったのに断られちゃったわ。ういちゃんにはしてもらうくせに。ふんだ。

 今日の洗い物当番は鶴乃が買って出てくれた。昼にはお店に戻るつもりらしいから、今日は朝食後そのままお茶会をしたわ。女三人寄れば……とはよく言ったものよね。全く話が……そして笑い声も途切れる事なく、あっという間に時間は来てしまった。車に乗り込む背中が寂しそうだったから、ジャムをおすそわけしておいた。久しぶりに頭を撫でてやったらべそをかきつつ抱き着いてくるから、危うく背骨が折れるかと思ったわ。
 今度……そうね、万々歳の定休日は水曜だから、火曜の夜に出前でも取りましょう。その日は沢山おやつを食べて、最後の便で届けてもらえばいい。

 鶴乃が帰っただけで、一気に静かになった気がしたわ。フェリシアがしょぼくれて部屋に戻ってしまったのもあるかもしれない。出会ってすぐから万々歳でバイトしていたんだもの。鶴乃とこんなに顔を合わせないなんて初めてだから、きっと調子が狂ってるんでしょうね。
 早く日常が戻ってくるといい。

 昼食の準備をする頃になって、いろはの手首は少しだけ腫れてきたみたいだった。病院に行くか聞いたけれど、感覚的に折れてないから大丈夫って言われたわ。骨折の感覚なんて知らない方がいいんでしょうけど、こういう時だけは経験が生きるわね。とりあえず鎮痛作用のあるシップをして、固定を続ける事にした。もっと酷くなるならば病院に行きましょう。

 しょぼくれていても腹は減る……という事で、今日のお昼はフェリシアによるラーメン定食。即席ラーメンと、鶴乃が置いて行ってくれた冷凍餃子と、白いご飯と。うーん、炭水化物の暴力。
 でもラーメンライスって美味しいのよね。フェリシアが作る即席めんは鶏ガラもニンニクも味噌もバターも追加されてかなり濃い味だから、白いご飯が異様に合う。いろははあんまりいい顔をしないんだけど、今日はにこにこしてた。
 というかたぶんだけど、今までいろはがフェリシアのラーメン定食にあんまりいい顔をしなかったのって、野菜がなかったからだと思うのよ。今日はラーメンの上にうず高くニラモヤシ炒めが乗っていたから、文句も特になかったんじゃないかしら。
 なんていうか本当に……お母さんなのよね。美味しいばかりじゃ食育はならず。肉肉肉! のフェリシアを、三年かかってここまで育てたんだもの。大したものだわ。今ではあの子の方から野菜炒めが食べたいとか言い出すし。まさしく石の上にも三年ね。

 ラーメンセットは、いろはとさな以外が完食。二人が残した分も、私達三人の胃袋に収まったわ。ういちゃんも最近だいぶ食べるようになったし、たぶん同じ歳だった時のいろはより身長も高いんじゃないかしら。いつ抜かされるかと戦々恐々としてるいろはが面白いから、私としては早めに抜かしてほしい気持ちでいるわ。
 バランス良く食べ、満遍なく学び、よく運動する。食はいろは、学びはさな、運動はフェリシアが担当ね。日々元気に動き回っているういちゃんを見ると、なんだかとても微笑ましいわ。私ですらとても嬉しいと思うんだから、いろははきっとそれ以上でしょう。身長抜かされたらどうしようなんてぼやきながら、その時を心待ちにしているのも知ってるわ。未来を描けるって、素敵な事ね。

 昼を済ませてからは、皆で人生ゲームをしたわ。
 さなが一位だけど独身。私が二位で億万長者。ういちゃんが三位で宝物が一番多い。いろははやたら子供が生まれて車に乗り切ってなかった。フェリシアが最下位……というか、火星を開拓に行ったまま帰ってこなかったわ……。
 なんだかとてもコメントし辛い結果になったけれど、皆楽しそうだったからやってよかった。
 今日の夕飯はういちゃんがハヤシライスを作ってくれるって言うからお任せして、いろはに鎮痛剤を飲ませて少し寝かせたわ。手首の腫れはあれ以上酷くならなかったけど、本人が言う以上に痛んでるはずだもの。私がそう言ったら驚いていたけど、そんなの見てればわかるわよ。ゲーム中右手を一切使わなかったし、自分の番以外の時にたまに真顔になってた。
 昼寝に入った時刻は三時過ぎ。夕食は七時頃。それなりに眠れるから、これで少しでも良くなってくれればいい。そう思った。

 寝入りばな、少しだけ話をしたわ。人生ゲームをまたやりたいって言うから、子供みたいに指切りげんまんをしてあげた。現実でも子だくさんがいい? って聞いたら、いろはは困った顔してたわ。男の子と女の子ならどっちが欲しい? って問いかけには、あんまり想像できないって曖昧な笑顔が返ってきた。いろはの子供ならきっと可愛いでしょうねって笑っても、なんだか少し寂しそうな笑顔を浮かべただけ。
 その理由を聞きたくても、すぐに眠っちゃったから聞けなかったわ。いろははあんまり子供が欲しくないのかしらね。

 未来の約束が出来て、先の事を考えられるようになって、そうしたら当然色んな景色が脳裏に過ぎる。
 私は当たり前が欲しいから、可能なら結婚して、子供を授かって、いつか普通に老いて、死んでいきたい。魔法少女じゃなくなったって、勿論事故や病気の可能性はあるわ。それでも未来は以前よりも大きく開けて、当たり前が手の届くところまでやってきている。
 私はそれが欲しい。そしてそれが叶う時、いろはに傍にいて欲しい。そう思う。
 四歳の差って大きいわ。私は今年で学生業を終えて、来年からはモデルに本腰を入れる。いろはは今年高校生活を終えて、来年から四年間大学生活を送る。あの人はまだ十七歳。今年で十八。出会って三年経ったのに、まだその時の私より幼いの。
 どうしても、早く早くって思っちゃうわ。前は火が消える前にって焦りからだったけれど、今は純粋な我儘で。早く、ああ、早く。大人になったあなたを、見てみたい。

 あなたと恋を始めた瞬間から、同じ名字になる事を夢見てたって言ったら笑うかしら。まだ何も知らないあなたを手に入れて、その瞬間から老いたあなたを描いていた。しわくちゃになっても、私の隣で笑っていてくれたらって思ったのよ。
 笑ってもいいわ、いろは。呆れてもいい。だけど私は、そう思ったの。あなた以上はいない。あなたしかいない。あなただから、私は私でいいんだって。あなたが私に私をくれた。あなたが強く抱いてくれたから、私は張り裂けずにそこにいられた。
 あなたの未来を渇望したわ。同時に私もそこに行きたいと思った。生きたかった。生かしたかった。
 あなたと恋を始めた瞬間から、一生離れずにいたいと願ったの。
 私は家族が欲しい。かかわりが欲しい。つながりを持ちたい。
 ねえいろは。あなたと家族になりたいって言ったら、あなたを困らせてしまうのかしら。

 眠るいろはに額を寄せて、祈るような気持ちで目を閉じた。
 追いかけているのはどっちなのかしらね。追いつけるのはいつかしら。追いついてくれる事は……あるのかしら。


 そのまま眠ってしまったみたい。時計を見たら一時を回ってた。喉が渇いて下におりたら、メモが一枚残ってたわ。
 よく眠っているから起こすのはやめた事。ハヤシは小分けにして冷凍したから、おなかが空いたらチンしてほしい事。親切なういちゃんからのメッセージに少し笑って、水を飲んでから部屋に戻る。
 いろはは相変わらずぐっすりと眠っていたわ。薬が効いたのもあるでしょうけど、元々寝つきもいいし、眠りも深い方だもの。扉に背を向けて、薄い肩が静かに上下してた。
 寝る時に何かを抱きしめる癖、最近はあまり見なくなったわ。いろは自身が抱き枕になったからだって言われたのはいつだったかしら。今でもたまにやっているけれど、私が触れている間は殆どしない。
 きっと、私は今日もあなたを抱いて寝る。最初は寄り添うだけのつもりでも、いつの間にかそうなっちゃうのよ。あなたを腕の中に閉じ込めて、あなたが傍にいるのを実感して、それでようやく安心できるのかもしれない。
 依存してるわ。お互いにね。

 満月が、いつも以上に空を明るく照らしていた。月明かりに見るいろははやけに白くて、それに少しだけぞっとする。触れた肌が温かいのを確認する度、自分の弱さを実感するわ。
 いつの間にか、夜が怖くなってきてる。ううん。あなたの笑顔が見られない事が、怖くなってるのかもしれない。あなたに笑顔でいて欲しい。あなたに幸せでいて欲しい。あなたの幸せであれればいい。これからもずーっと。
 どれだけ言葉を尽くしても、きっと半分も伝わらないわ。それがもどかしいから、私は今日もあなたを抱いて眠る。

 私の体温が移るように、想いもじんわり伝わればいい。
 時間をかけて、ゆっくりでも。泣きたくなる程愛しく思う私が、持て余す程のあなたへの好きが、いつかあなた自身に伝わればいい。

 どんなあなたでも、私にとってはたった一人。
 絶対に好きよ。いろは。