どっぐらんの裏側

今まで書いた物まとめたり、ちょっと長めの独り言呟いたり。※無断転載禁止

みかづき荘の晩御飯02

 

 

月曜日

カリカリ鶏皮と玉ねぎのポン酢サラダ

・裂き鶏とトマトの醤油和え

・味噌汁

・ブリの照り焼き

 

 

 

「ただいまー!」

「おかえりなさい。お米といでおいたわよ」

「あぁぁ……ありがとうございます……!」

 慌ただしい帰宅だった。なんでも帰りがけに教師からの頼み事を引き受けたらしく、気づけばこんな時間になってしまったらしい。

「相変わらずお人好しね」

「だってぇ……」

 責めているわけではない。けれどいろはの親に代わって三者面談に行った時、「よく手伝いをしてくれて」という一言にむかっ腹が立ったやちよだ。口調が多少強くなってしまっても仕方がないだろう。

「あんまり多いようなら電話するわよ?」

「いえ、大丈夫です。これでも三回に一回は断ってるので」

「……やっぱり電話しておくわ」

 いろはの担任は悪い人間ではない。悪い人間ではないのだが、多少生徒を選り好みしすぎるきらいがある。本来教師の仕事を手伝うために日直やら委員会やら係やらがあるはずなのだが、そういう人間を飛び越えていきなりいろはに頼み事をし、それを悪びれもしないからやちよは彼女があまり好きではないのだ。

「部活の顧問もやってるし、先生も忙しいんですよ」

「それはあなたが考える事じゃないのよ」

 生徒が教師を手伝うのはいい。広く見れば師と弟子の関係なのだから、そこに異を唱えるつもりはないのだ。ただ、一人をやたらと重用し、本来のシステムを無視している事が危うく見える。事実、テスト勉強をしにみかづき荘を訪れたレナがこう言ったのだ。「いろはは先生のお気に入りだから、そんなに勉強しなくても五をくれるでしょ」と。

 それにいろはは曖昧な笑顔を返したけれど、決して否定はしなかった。それは、周囲からそう見られている事、そして、実際にあの教師ならやりかねないといろは自身も思っている事の、何よりもの証左になる。

「いろはに言うのはお門違いだってわかってるんだけど……」

「誤解されるのはあまりいい気分じゃない?」

「その通りよ」

 いろはは優しい。それに努力家だ。あの時のレナも、「媚びを売ってるから」と言いたかったわけではないだろう。どちらかと言うと、あの言葉には「苦労してるんだから最高評価くらい貰わなきゃ割に合わない」という響きが含まれていた。

 けれどそれは、いろはの人となりを知っているからこそ言える言葉だ。さしていろはを知らない者から見れば、良くてえこひいき、悪くて媚び売りの成果、としか思わないだろう。やちよはそれを危ぶんでいる。

 三者面談に行った時、やちよはあくまで保護者の立場だった。親の名代として行ったのだから、いっそ親代わりにも同じだっただろう。それなのに担任は言ったのだ。悪びれもせず、それがまるで良い事であるかのように「嫌な顔一つせずに手伝ってくれるんです」と。やちよにはそれが「使い勝手のいい人間です」に聞こえてならなかった。

「恋人の立場からも、あまり気持ちのいいものじゃないのよ」

 やちよにとってのいろはは、環家からお預かりしているお嬢さんであり、友人であり、仲間であり、家族であり。そしてなにより、恋人なのだ。どの立場から彼女を見ても大切な人である事に変わりはなく、たとえ師として敬うべき相手だとしても、軽んじられるのは我慢ならない。まして私物のように扱われ、その末に自分との時間が減るなんて以ての外だ。

「……なによ」

 憤慨して腕を組めば、着替え途中のいろはがぽかんとこちらを見つめていた。大きな目をもっと大きく見開いて、驚く彼女は酷く幼く見える。

「何か文句あるの?」

「……ううん、なんにも」

 ややあってからその表情が満面の笑みを形どるのを見て、やちよはぐっと眉根を寄せた。何かとんでもない勘違いをされた気がするのだが、気のせいだろうか。

「やきもち?」

「ちがう」

「でも恋人の立場からって」

「ちがうっ」

「今度からはもっとちゃんと断りますね」

「だからちがう!」

 否定しながらも、頬に熱が上がってくるのがわかっていた。だって違うわけがない。

 今日は早く帰ってこられると言っていたから、お茶の準備をして待っていたのに。手伝いがあるから遅くなるという連絡を受けて、やちよは素直に落胆した。一人ずるずるとソファに沈んだ時の、いっそ泣き出したい程の寂しさを否定なんて出来ない。

「次はデートだからって言うことにします」

「……」

「今日はごめんね?」

「……ん」

 さっと着替えを済ませたいろはが、真っ赤なやちよを覗き込んでにっこり笑った。それに小さな頷きだけを返し、されるがままに恋人の唇を受け入れる。そのままするりと指先を絡め取られるともう何も言えなくなって、やちよは大きな溜息を吐くしかなくなってしまった。

「今日はお料理デートでもいいですか?」

「……ゆるす」

「ありがとう」

 その上一緒にキッチンに立つのを気に入っている事実までばれていては、いよいよ返す言葉がない。やちよは真っ赤な顔で手を引かれ、とぼとぼと階下に戻っていく。

「お姉ちゃんおかえりなさい。今日は何かお手伝いある?」

「んー……」

「……うん! わかった!」

 その途中でにこにこした姉妹に含みのあるやり取りを見せつけられ、上がった熱は一向に下がってくれそうもない。さらにはさなが腰を浮かせ、何も言わずに座りなおす姿まで見てしまって、やちよはとうとう顔を覆った。

「ねえいろは……」

「わかりやすいと思いますよ」

「先読みやめてぇ……っ」

 キッチンに入り、エプロンをつけた恋人は楽しそうだ。素知らぬ顔の家族とは違い、こちらはあからさまににこにこしている。やちよが子供っぽく拗ねる姿が大好きないろはは、こういう時、いつもいい笑顔だ。

「さ、夕飯作りましょう」

「……ん」

 それでも必要以上につっついたりしないから、やはり彼女は優しいのだろう。てきぱきと今日使う食材を取り出す姿を少し眺め、やちよもようやくエプロンを身に着けた。

 

***

 

「今日のメニューはブリの照り焼きと?」

「玉ねぎのサラダとトマトの醤油和えと、あとはお味噌汁」

 キッチンでは、既に軽快な音が響いていた。ブリの切り身に塩をふるやちよの隣、包丁を振るういろはの手つきは迷いない。極薄に切られた玉ねぎがたまにひらひらと舞い散る様は、なんとも言えず綺麗な物だ。

「腕を上げたわね」

「ありがとうございます」

 やちよと出会ったばかりの頃は、まだトントントンという緩やかなペースだった。それでも中学生にしては早い方ではあったのだが、今は音にまるで途切れがない。トトト、と響く音は軽やかで、玉ねぎが瞬く間にスライスになっていく光景はいっそ気持ちのいいくらいだった。

「ザルこれでいい?」

「あ、ボウルより大きい方がいいかも。少し流水にさらしたいので」

「了解」

 バットに並べられて臭み取りをされているブリの横。大きなザルにこんもりと盛られた玉ねぎは、実に四玉分だ。やちよとういの好物でもあるので、多目に切ってくれたのだろう。環妹は、姉と同じでおばあちゃんな部分があるのだ。

フェリシアもなんだかんだ食べるしね」

「玉ねぎステーキは苦手なんですけどね」

 彼女曰く、甘みと食感が云々。人参もあの甘味が駄目だと言う人がいるし、好みは人それぞれだ。食べられる形で食べてくれればいいし、無理をしてまでする食事はあまり楽しくない。いろははそう思う。

「えーっと、次は鶏油……あ、その前にお湯だ」

「落ち着いて。大丈夫よ、まだ時間はあるから」

「は、はい……」

 帰宅が遅かったので少し焦ってしまっている。料理に焦りは禁物だ。刃物も火も使うのだから、のんびりなくらいが丁度いい。

「落ち着かないならキスでもする?」

「もっと落ち着かなくなるので結構です」

「そういうところはいつまでも初心ねぇ」

 からかってくるやちよを上目遣いに睨みつけつつ、一度深呼吸をしてリラックス。それから再度包丁を持つと、いろはは出しておいた鶏皮をまな板に広げた。

 これは昨日、鶏ハムを作る時に取り外した分だ。胸肉六枚分の皮なので、量もそこそこ。本来なら滑って中々に切りにくいのだが、半冷凍庫に入れておいたので一回でさっくり切れる。鶏肉は元々多少切りにくい肉なので、半冷凍、もしくは半解凍状態にしておくと大分楽だ。

「やちよさん、フライパンのお世話お願いしていいですか?」

「まかせて」

 油はしかない。今回は鶏皮から油を出して、チーユを作るのが目的だ。ラーメンスープの仕上げに使われたり、それ以外にも炒飯を炒める時に使うと香ばしくてとても美味しい。

「あったまったわよ」

「はーい」

 今日は鶏油は使わないが、その代わりにカリカリの鶏皮を玉ねぎサラダにのせるのだ。大根おろしに乗せても美味しいし、おくらやきゅうりにも合う。もちろんそのまま塩コショウをふってもいいし、ニンニクと塩、少しのごま油でさっと和えれば酒が進む。

「あつっ」

「あ、ごめんなさい。水きるの忘れちゃった」

「いいわよ、だいじょう……あっつ! アルミホイル取って!」

「は、はい!」

 とても手軽で美味しい食材なのだが、残念な事に今回は水分を取ってやるのを忘れていた。解凍した鶏肉からはかなりの水分が出るので、油で火傷をしたくないならば水気は切っておいた方がいい。

「ありがとう。もう大丈夫。そっちも切るんでしょ? 続けて」

「……お願いしまーす」

「はーい」

 アルミホイルで簡易的なフタを作るやちよの隣、いろはは少し申し訳なさそうだ。それでも昨日とは別の胸肉を取り出し、その皮もさっと刻んでいく姿に迷いはない。

「火傷しなかった?」

「してたら舐めて」

「……えー」

「なんで嫌そうなのよ」

「なんかスケベなおじさんみたいな言い方だったから」

「……」

 フライパンより少し大きいサイズのアルミホイル。その真ん中に指が四本通る程度の穴を開け、ふんわりとフタをするやちよは神妙な顔だ。水蒸気の逃げ道は無事作れたが、自分自身の逃げ道が上手く思いつかない。

「今日はネギは?」

「入れます。用意した物がこちらに」

「あら素敵」

 下手くそな話題変更だ。思いながらもそれに乗っかり、野菜室からネギの青い部分だけを取り出して五センチ幅に。これは香り付けなので、焦げる前に取り出さなければならない。

「よいしょ、うしろ失礼します」

 切ったネギの一部はやちよに任せ、いろはは次の準備だ。たっぷりと水を入れた鍋を火にかけ、先程皮を剥いた胸肉と、取っておいたネギを入れてやる。茹で鶏を作りたいのだ。

「あら、今日はショウガは入れないのね」

「煮汁をお味噌汁に使いたいんです。だから今日はネギだけ」

「さすがよ」

「えへん。なんちゃって」

 水から茹でて、沸騰したら火を止める。あとは余熱で火を入れてやれば、しっとり柔らかい茹で鶏の完成だ。

「ブリ、もういいかな?」

「いいんじゃない? 二十分近くは経ってるし」

「ですね」

 そちらの世話もやちよにお願いして、いろははブリの下準備だ。塩をふって臭みと余計な水分を取ったブリをもう一度真水で洗い、ケトルで沸かしておいた熱湯をかけ回す。

「……あちち」

「気を付けて」

 両面しっかり白くなったら、今度は熱さとの戦いだ。軽く火が入った時点で血合いやゴミが取りやすくなるのだが、これが何をどうしても熱い。今回は切り身なので殆どなかったが、アラになったら一仕事だ。

「大丈夫です……けど」

「けど?」

「これ、そこまで違いあります?」

「最近はスーパーの処理もしっかりしてるしね」

「そうなんですよね。なんとなくやってるんですけど、お店で出すわけじゃないから簡単でもいいのかなぁってたまに思います」

 甘味は後からだとしみにくいから調味料なら砂糖からとか、合わせ調味料はよくないとか、色々と言われている事はある。けれどそれは料亭なりリストランテにお任せすればいい事で、家庭での料理はもう少し楽な方法を選択してもいい気がする。

「それでもやるのね」

「まあ、あの、なんというか、もう習慣になってる事ってありません?」

 熱さに負けずせっせと血合いを取るいろはは、やちよの言葉に横顔だけで笑みを返した。照れ臭そうに言い訳する彼女にやちよも少し微笑んで、しばし「あちち」という呟きをBGMにする。

「よし」

「フライパンの準備はばっちりよ。鍋も火を止めておいたわ」

「さすがです」

「えへん?」

「もう」

 キッチンペーパーできっちり水分を取ったブリは、もう焼くばっかりだ。冷めるとまた臭みが出るので、すぐに照り焼きにしてしまおう。

 やちよが薄く油を伸ばしておいてくれたフライパンの上で、ジュウ……ッと音を立てるブリはステーキ顔負けだ。しばらくして裏返せば、素敵な焦げ目とご対面。

「お酒」

「はい」

「砂糖」

「うん」

「ショウガもここに置いておくわね」

「ありがとう」

 両面に明るい焦げ目がついたら、今度は少しだけ煮込みの過程だ。とはいえ煮物ではないので、中までじっくり味をしみ込ませる必要はない。

 先程言ったように砂糖は後からだと味が入りにくいので、醤油を入れてしまう前に、酒、砂糖、ショウガで少しだけ煮たてておく。勿論合わせ調味料でも問題ないが、その時は少し多目に砂糖を入れておくといいだろう。甘味が醤油に負けてしまわない。

「やちよさん」

「はいお醤油」

「ふふ、ありがとう。さすが」

「どうも」

 アルコールが飛び、一煮立ちしたところで醤油を適量。これに関しては好みの問題なので、味見をしながら入れる量を決めた方がいい。ただしタレを煮詰めるならば味は薄めがいいだろう。この時点で一番いい味にしてしまうと、煮詰めた時に濃くなってしまう。

「ん。とろみがついた。じゃあちょっと余熱で火を入れて、鶏肉鶏肉」

 七海家は皆、魚は少し硬めが好きだ。ふわふわの身も捨てがたいが、それは煮魚の時がいい。照り焼きや干物などは、噛んだ時ぎゅっとするくらいが満足感がある気がするのだ。まあ、謎のこだわりと言われればそこまでなのだが。

「鶏皮どうかしら?」

「あ、いい感じですね。じゃあ皮はよけて、油を熱いうちにタッパーへお願いします」

「ステンレス製のタッパーなんてあった?」

「あ、ごめんなさいケーキ型です。カップケーキ用の」

「なるほどね」

「見つからなかったら耐熱容器で大丈夫ですよ」

「大丈夫、あったわ」

 じっくりと油を出してやった鶏皮は、カリカリのキツネ色だ。いや、いっそ狸色と言ってもいいかもしれない。明るい茶色をした表面は見るからに歯ごたえが良く、今からザクっと噛み締める瞬間が楽しみだった。

「いつも小分けにしてるの?」

「ううん。今回が初めて。いつもは二枚分くらいだから」

 黄金色をした鶏油は、冷めれば勝手に固まってくれる。それ故容器に移すのは熱い内でなければいけないのだが、動かした時の香ばしい匂いはこの時限定かもしれない。香味として使いはしても、これ単体の匂いを嗅ぐ事はなくなるのだから。カス取りのコーヒーフィルターを通し、ぽたぽたと音を立てる様はきらきらとしていて綺麗だった。

「今はオーブンによけておいてください。固まったら冷蔵庫に入れますから」

「了解」

 鍋の中の鶏肉をトングで挟み、火の通り加減を確かめるいろはも楽しそうだ。やちよと一緒に深呼吸をして、いい匂いだね、と笑う表情が愛らしい。

「後ろ通りまーす」

「はーい」

 どうやら火の通りはばっちりだったらしい。玉ねぎのために細く出し続けていた水を一度止め、それをつけていたボウルを再利用。玉ねぎスライスは水きりの上に移動してもらって、今度は鶏肉を冷ますためボウルに水を張る。

「氷も入れて、よし。あとはお味噌汁と……トマトトマト」 

「今日はなんの味噌汁?」

「小松菜と油揚げです」

 どちらも安い時に買って冷凍しておいた物だ。小松菜は好みの長さに切って真空ビニールに入れ冷凍。油揚げは熱湯で油抜きをし、切ってしぼってから冷凍しておいた。後は使いたい分だけ取り出せばいい。

「よし、お味噌汁もOK。みんなー、もうご飯になるよー!」

「はーい」

 やちよの方も終わったようだ。わらわらと動き出す家人たちに必要な物を渡しながら、それぞれの料理を皿に盛りつけていく。

 水を切った玉ねぎは深めの皿に移して、その上に鶏皮、そしてポン酢を回しかける。おかわりも十分にあるし、残りはテーブルの真ん中に置いておく事にしよう。ブリの照り焼きはそれぞれ皿にのせ、一人一人の前へ。味噌汁とご飯をよそうのはういとさなに任せ、やちよといろはで鶏肉を裂いて一口大に切ったトマトと混ぜ合わせていく。今回は白出汁和えてしまったけれど、醤油でもドレッシングでもマヨネーズでも美味しい万能選手だ。なんなら塩コショウとオリーブオイルでも。

「お箸出てる?」

「まかせとけ!」

「よし、じゃあいただきましょうか」

「はーい」

 いろはとやちよもエプロンをとって、皆の待つ食卓へ。全員で手を合わせれば、みかづき荘は一気に賑やかになった。

 夕飯の時間は一番全員が集まりやすい。朝と違って時間もあるので、様々な話に花が咲くのだ。例えば嫌いな授業の事、未だに伸び続けるフェリシアの身長、明日は夕飯を共にする鶴乃の事、そこから派生して万々歳の経営方針について、いろはの身長が実は少し伸びた話や、それを追い越す勢いのういについて、さなが宿題で提出したレポートが大会に提出されるという話。

 笑ったり怒ったり頭を抱えたり喜んだり。皆でおんなじ感情を共有して、今日も夜が更けていく。明るいリビング、そして外まで聞こえる笑い声は、今やみかづき荘の名物でもある。ふと表を通りかかった人が思わず笑顔になってしまうような団らん。それを得るまでには様々な出来事があったのだが、それをあえて語る必要はないだろう。もしその必要が出たとしても、きっとこの場ではない。今はただ、温かい食事と楽しい話で腹も胸も満たせばいいのだ。

 今日も皆で食事をする。そして明日もまた、みんなでこうして食卓を囲むのだろう。