姉妹01
「七海さん」
呼ばれて、やちよは振り返った。教室の入り口に立っていたのは今年入ってきた新任教師で、名前を環いろはと言う。
「……ちょっといいかな?」
放課後、窓際の席で読書を楽しみ、それから帰路につくのがやちよの日課だ。昨日から読み始めた文庫を読み終え、さて帰り支度を整えようかという時だった。
「なにか?」
あまりにもタイミングが良すぎる。もしかしたら本を読み終えるまで待っていたのかもしれない。それか、何度もかけられたであろう声を自分が聞き逃したのか。どちらにせよ教室にいる生徒は一人だけで、彼女がやちよに用事があるのは明白だろう。
「進路希望のプリント、あなただけ出してないから」
「……ああ」
女主人とメイドの話01
春が鼻先をくすぐった。
重苦しいチャイムの音に、彼女は気だるく目を開く。くすぐったいと思ったのは窓から滑り込んだ桜の花びらで、もうそんな季節になったのかと目を細めた。
花の終わり際はいつでも心を寂しくさせる。出会い別れたいくつかの命を思い出すから。
神とその巫女になった少女の話08
七つ前は神のうち。
日ノ本にて古くより言い伝えられてきた言葉で御座います。この世に生まれ出でて七つを数えるまでは、まだ神様からお預かりしているだけ。幼子は人より余程神に近い場所に在り、いつこの世を去ってしまうともわからない。そのような意味合いの言葉で御座います。
まだ医療の発達していない時代、子が長じるには格別の難しさが御座いました。「七つまではしっかりと気を付けてやらねばならぬ」という戒めと同時に、「喪ったのではなく神様にお返ししたのだ」と思いたい人々の心が、切々と宿った言葉で御座いましょう。
疱瘡、結核、コロリ……現代においては撲滅、または予防法などが発見されている病でさえ、当時の人々にとっては死の病で御座いました。免疫力のある大人ですらそれらの病にばたばたと倒れていく時代で御座います。子など五人の内二人が無事に育てばまだ良い方で、家によっては何人産んでも一人も育ち上がらぬ事も御座いました。
その上子を産む側である母親も、今よりずっと死に近かった時代で御座います。度重なる死産や流産により子を授からなくなる事もあれば、産褥熱に命を落とす事も珍しく御座いません。産み落とすだけでも命がけ、そして長ずる事も難しい。まさしく子は宝。神様よりの授かり物で御座いました。
現代でも残る七五三の風習は、古来より受け継がれてきた切実な祈りの形でも御座いましょうか。子の健やかな成長を祈り、また神に祈る事でその守護を乞う。七歳、五歳、三歳に詣をする由来は平安時代まで遡りまするが、ここでは割愛させて頂きましょう。
此度の物語では、子を想う親の、そして誰かを想う周囲の者の、強い祈りをお話させて頂きたく存じます。神とその巫女になった少女の許へ、ふっと訪れた小さな命について。しばし皆様のお時間を拝借し、ゆるりとお話させて頂く事といたしましょう。
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